2013年5月22日水曜日

韓国マスコミ、呉善花さんにかみつく。


▲呉善花さんという韓国系日本人(大学教授、作家)がいる。
 えっと、数年前に日本に帰化したと記憶する。(記事では90年代となっているが、なにか間違いだろう)
 その呉善花さんが、日本と韓国を比較して、アレコレ書くのが韓国の新聞は気に入らないらしい。

 まぁ、ご勝手に噛み付けばいいこと。
 日本人はそんなことでミスリードされないよ。

 以下、韓国の新聞から抜粋。

 韓国出身の呉善花大学教授(57)は、日本社会で影響力を持っている知識人の1人だ。
 呉教授は 先月、官邸で安倍首相と夕食を共にした。
 教授が、一国の指導者と食事を 共にし、自分の意見を語る場を得るというのは、容易なことではない。

 呉教授は1990年に、日本で生活を送る韓国人女性の暮らしを通して韓国文化を批判する著書『スカートの風 』を出版、これがベストセラーになった。
 その後『韓国併合への道』『「反日韓国」に未来はない』 『私は、いかにして「日本信徒」となったか』など、40冊以上の本を出版した。

 主に韓国を非難し、日本を称賛する内容だ。
 プロフィルによると、呉教授は83年に27歳で日本に渡り、東京外大の 北米地域学修士課程を修了。
 94年(または98年)に日本国籍を取得、2004年に現在の職に就いた。
 日本に渡る前は、 大邱の専門大学に通い、また女性兵士として4年ほど韓国軍に勤務したという。

 長期間に わたって外国で孤軍奮闘し、現在の地位を築いた呉教授のストーリーは、成功談と呼べるだろう。
 呉教授が日本国籍を取得したことを非難する理由はない。
 「グローバル時代」に重要なのは、国籍よりも能力だからだ。

 韓・日の歴史や文化を専攻したわけでもない呉教授が、関連本を年に23冊のペースで出していることについて、 日本の極右勢力が「集団創作」しているとの疑惑を提起している。
 呉教授の業績を低く評価する根拠はない。
 呉教授が「新たな祖国」日本を礼賛するのも、問題はない。
 韓国人はトウガラシを食べるからよく興奮し、日本人はわさびを 食べるから冷静だという論理には失笑を禁じ得ないが、それも呉教授の「祖国愛」だと理解できる。

 問題は、日本の過去の植民支配や侵略戦争まで擁護する場合があることだ。
 日帝が犯した人間性の破壊には目をつむり 「総督府の統治は平和的だった」と主張するのは「グローバル市民」の常識に照らして見ると、受け入れ難い。
 日本の勢力は、韓国を非難する際、しばしば呉教授の主張を論拠にする。
 韓国出身者でさえも韓国を非難するという「客観」の 仮面をかぶるためのものだ。

 呉教授も、名声を得るためこれを利用しているという点で、極右勢力とは「共生関係」にある。
 安倍首相は、植民支配や侵略を謝罪した「村山談話」、慰安婦の強制動員を認めた「河野談話」に代わる「安倍談話」を 2015年に出したいと語った。
 談話に向けた「安倍首相の専門家グループ」に、呉教授が加えられるとの見方も浮上している。

 呉教授の主張には同意しないが、これまでは一知識人として呉教授の見解を尊重することができた。
 しかし今、日本の 国粋主義政権に参加して日帝の侵略を否定し、韓国人・中国人をはじめとするアジアの被害者たちの傷をえぐるのなら、 呉教授は許されざる歴史の罪人になるだろう。

 呉教授にはまだチャンスが残っている。
 今からでも「日本信徒」を越えて 「グローバル知識人」へと飛躍するという道だ。


▲補足、感想など

 なんというか、この記事、もうキチガイ沙汰だな。
 これを書いた記者は、どうやら、日本語の読み書きができて、呉善花さんの著書も目を通したようだなぁ。
 それで、この文章か。

 なるほど、これが韓国の教育の結果か。
 朴大統領が1960年頃から始めた「反日教育」がトコトン、骨の髄まで浸透しているということなのだな。
 それが軍事政権を維持するのに都合が良かったし、日本にもそれに呼応する朝鮮系・韓国系の政治家・大学教授・マスコミなどがいて、日本からお金を引き出すのに都合が良かったということか。

 そんな風にして、1945年-2000年を少し超えたあたりまで、日本人をミスリードしてきた—ということなのだな。
 まぁ、騙(だま)されつづけた日本人だって迂闊なものだ。<あぁ、今でもnhk が信頼できるとかいう年寄りがいるものなぁ>
 バカだから騙されるのだ。

 しかし、もう。
 このインターネットが普及した時代に、韓国の新聞がなにを書こうと騙されはしない。
 また、朝鮮系の記者がゴマンと巣食っている日本の新聞・テレビの論説委員の言うことなど信じはしないさ

 話がどこかへいった。

 呉善花さんの著書を読んで思うのは、「この人、賢いな」ということだ。
 それは—韓・日の歴史や文化を専攻したわけでもない--とかいうこととなんの関係もあるまい。<このあたり、韓国人の貶しかたの特徴だなぁ。教育というものを権威と結びつけるのだ>

 日本での作家などの出現の仕方をみてみよ。
 大学で「日本文学専攻」とかあるが、そこの卒業生から「作家」が出てくるか。
 作家は、そういう「教育」とは無縁のところからでてくる。

 逆にいえば。
 こういう批判の仕方をするということは、韓国からまともな作家・芸術家が出てくるということはない—ということなのだな。
 なにか、文章を書く・なにかを創ると、「大学で☓☓を専攻したのか」とか問われる訳か。
 馬鹿馬鹿しい。
 こういう風にして、韓国では「まともな作家」の出現を妨げているということだ。