2013年5月5日日曜日

日本のこと結構好きなんだ—とプーチンさん。


▲まぁ、これは本当のことだろう。
 別に外交辞令というようなものではあるまい。
 柔道などを通じで、日本に慣れ親しんでいるということだろう。

 いや。
 反対に「中国を嫌いなんだ」--という意味も含めているのかもしれないな。
 
 以下、新聞から抜粋。

 安倍首相が、ロシア・中東歴訪から帰国した。
 今回の歴訪で首相は「実利主義」と「総力結集」の姿勢に徹した。
 カードをちらつかせて相手の出方を瀬踏みし、国益を追求する「安倍外交」の 一端を垣間見せた。

 「実は、日本のことは結構好きなんだ」。
 ロシアのプーチン大統領は会談後、首相の耳もとでささやき、 「日本に行くのが本当に楽しみだ」と続けた。

 北方領土交渉を再スタートさせただけに、首脳間での「信頼関係構築」とみることもできる。
 ただ、プーチン氏が歩み寄ろうとしてきたことは間違いなく、資源外交で「各国を天秤にかける」戦術が奏功したといえる。

 ロシアは原油やガスの欧州向け輸出が低迷し、安定した供給先として日本に秋波を送る。
 首相はロシアに肩入れすることは避け、原油輸入量1位と2位のサウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)も訪れ、 各国に暗に「値切り」を求めた。
 資源国同士を競わせ、主導権を日本が握る-。
 それが首相の狙いだった。

 価格交渉を下支えする「武器」も携えた。
 首相は原発をはじめとしたインフラに加え、医療や農業など日本の誇る技術力をアピールした。
 資源を絶え間なく供給させるには海上交通路の安定も不可欠で、中東各国と安全保障対話を新設し、 影響力を強める意思も示した。

 資源価格交渉が本格化すれば、ロシアとは領土交渉への波及効果も見極める必要がある。
 インフラなどの海外展開は日本の成長戦略も左右する。
 今回まいた種を果実として収穫できるかが課題となる。


▲補足、感想など

 20世紀始めの帝政ロシア(日露戦争の頃--そういえば、ニコライ二世は日本人を”醜い猿扱い”していた) →ソ連時代 →社会主義体制崩壊後のロシア—と約100年以上の日本とロシアとの関係の中で、この安倍-プーチンほど、日露両国が近づいたタイミングはあるまい。

 日本のことが云々というのは、柔道を通じてということもあろうが、中国が嫌い—という反射的な対応の結果でもあろう。

 だから。
 プーチンさんは、安倍さんだから、一緒に仕事ができる—と感じているのだ。
 このブログで何度もふれた。
 北方領土の問題が解決するとしたら、この安倍-プーチンとの関係においでだけだ。

 筆者は、交渉の進展がみられなかったら、安倍さんは「シベリア・極東地区開発協力金」の額を積み上げて決着をつけるつもりだろう—と書いた。

 なにか。
 かって、小沢さんが同じようなことをしようとしたらしい。その記事を紹介したい。

--ここから--

 生活の党の小沢代表は自身が自民党幹事長時代、 旧ソ連のゴルバチョフ大統領側近から北方領土を買い取るよう提案があり、実際に買い戻そうとしたことを明らかにした。
 1991年4月の大統領来日前とみられる。 
 小沢氏は「ゴルバチョフの側近から『北方領土を返す』という話があった。
 (日本が)カネで買うという話だった」と説明。

 当時の大蔵省に「何兆円か」の資金を拠出するとの了解を得た上でモスクワを訪れたが、 大統領は提案について「他の者が言ったかもしれないが、今私がいいと言うわけにはいかない」と否定したという。
 ロシア側は、北方四島買い取りを持ち掛けたのは小沢氏だったと主張している。

--ここまで--

 この小沢さんの話は、どちらがもちかけたか—は不明だが、ゴルバチョフ大統領が拒否した感覚は理解できる。

 1991年といえば、社会主義体制が崩壊する寸前だ。
 自国の弱みにつけこまれて、混乱の中で「お金で売り渡した」という汚名を着たくなかったのであろう。
 ゴルバチョフさんは、誇り高い人だ。当然の反応だと思える。

 こんな話を小沢さんは、自分の自慢話として話たのか。
 これは、他国の混乱に乗じてどうこうすることはできない—という意味だと解釈すべきだ。

 今はゴルバチョフ時代とは違う。
 プーチンさんは、賢い、柔軟な思考のできる指導者だ。

 「買う」という話ではない。他人の弱みにつけこむという話でもない。
 正々堂々と、日本側としてどういう見返りが提示できるか--という話だ。
 
 冒頭でふれた「シベリア・極東地区開発協力金」の提供によって、ロシアの国民からの支持を高める—という意味だ。
 それが4島の返還に対して、プーチン大統領の決断を促すなら、それで結構な話ではないか。