2017年12月26日火曜日

お笑い、肉体労働を卑しむ人食い中国人が匠(たくみ)がどうたらと

どこに核心があるのだろう。
 日本人って、人間には様々な才能がある—と思っている。
 当然、人間には得手・不得手というものがある。ならば、得手のところで勝負をすれば—と思う。
 筆者でも、まだまだ楽器の才能があるかもしれないとか思っているよ。

 中国人はどうだ?
 大工なんかの肉体労働をしている人間を、「科挙にも合格できないから、肉体労働をしているのだろう」とか思っていないか。
 アホだから、肉体労働しかできないのだろう—とか思っていないか。
 人間の才能というものを限定的にしか捉えることができないのだろう。

 上でもふれた。人間には得手・不得手があるのだ。
 科挙に合格できなくても、自分の得手の部分で勝負すれば—といういい意味での「緩さ」がないのだろうな。
 それが、中国人の選択の幅とか判断を狭めてしまっている。

 以下、新聞から抜粋。

 人々の消費意欲を刺激する情報が溢れ、経済力も伴い始めた中国では、消費者自身が価値を見極めるのが難しい状況が見られている。
 消費者が未成熟な状況を、思春期にある若者が自身を模索しているような状態にあるとも表現できる。
 中国メディアは、「日本の匠の精神に対する中国人の反応は、自分の目から見ると中二病に見える」と記事を掲載。
 日本には「中二病」という言葉があるが、中国でも同じ意味で「中二病」という言葉が用いられているようだが、この言葉自体の捉え方もはっきりしたものではない。

 中国で日本の「匠の精神」について語られる際、記事は「中国人はこの言葉に陶酔してはいないか」と指摘。
 一時話題となった、日本人の「米炊き仙人」はコメをおいしく炊くことを極めた職人で、水に対するこだわりから中国の有名なミネラルウォーターのCMにも起用。
 職人として技術を向上させてゆく姿勢は素晴らしいが、それが「国民性を代表して真摯で真面目な気質を表すものと捉えるのは、匠の精神の乱用ではないか」と主張。

 日本人は他にも「寿司の神」、「天ぷらの神」、「鰻の神」と職人を崇める傾向があると伝え、日本の文化に詳しくない外国人が本当にその技を舌で感じることができているのかと疑問を呈した。
 匠の精神を通じたPRや宣伝は効果があり、中流階級の中国人の心を捉えているが、これは戦略であり宣伝に踊らされて匠の精神を謳った商品を購入することに慎重になるべきだと。
 また中国にも匠の精神を持つ職人は存在すると紹介し、「他者の優れた点から学ぶ態度は国民の生活を豊かにするが、それは外国かぶれになって自尊心を失うことではない」と喚起。

補足、感想など

 冒頭でふれた。
 日本人は、肉体労働というものを卑しんでいない。(中国人のような蔑視という感覚はない)
 また、人間には多様な才能が眠っている存在であり、当然、得手・不得手がある。自分が生きて暮らしていくには得手のところで勝負すれば—という感覚なのだ。

 また、日本語の「かわいい」という言葉にみられるように、対象に近づき、のめりこみ易い体質を日本人はもっているものだから、一芸に集中してしまうのだ。

 表題で、お笑いと書いた。
 それは、上で日本人の性向を示した訳だが、中国人はそんなものを持ってもいまい。
 匠がどうたらなんて、中国人ともっとも遠い言葉ではないのか。
 ちょいと古い記事だが、日本で職人がどのような行動をとるかという記事があった。

 --ここから--

2017/08/28()
 中国で称賛され、見習うべきと言われる日本の「匠の精神」。
 しかし実際に一向に変化の様子が見られない。
 中国メディアは日、中国では実現できないこの「匠の精神」が、「日本では深く根を下ろしている」理由について分析する記事を掲載。
 日本では、500年も続いている甘味専門店など老舗は多いが、「匠の精神」の見られる日本の職人にはどんな共通点があるのだろうか。
 記事は、「3つの特徴がある」と分析。

 まずは、「確認の習慣」だ。
 記事は、日本人は席を離れる前に「忘れ物、ごみ、使用したもの」を確認してから席を離れることが習慣になっている。
 確認の習慣は「素養」として日本人にしみついており、仕事が効率的で、安全に作業することができ、秩序も保たれているた。

 2つ目は「ばかになること」。
 映画「奇跡のリンゴ」で有名になったk氏は、世界で初めて無肥料・無農薬でリンゴ栽培を成功させた農家だが、10年間成果が見られなくても挑戦を続け成功を収めた。
 記事は、1つのことだけを「ばかみたいに」やり抜くことも匠の精神の1つなのだ。

 3つ目は「無類の勤勉さ」だ。
 自動車メーカーが専門職の面接に「利き手でない方の片手で90秒間以内に折り紙を折れ」という課題を出した結果、7000人中12人しか合格しなかったと。
 匠の技といっても、毎日の作業は地味で同じ作業の繰り返しであるため、勤勉な人でないと勤まらないと。

 記事が指摘したこの3つは、的を射ていると言えよう。
 中国にも優秀な人材は少なくないが、派手な仕事を好むため、とかく確認を怠り、「ばかになる」ことも地味な作業を繰り返すことも敬遠されている。
 まずはそこから変わらなければ、中国に匠の精神が根付くことはない。

 --ここまで-- 
 
 バカになるねぇ。
 日本語での「愚直」というのは、バカになるという意味ではあるまい。
 どうも、中国人は賢すぎるな。頭の回転が良すぎる。

 日本で、従前の技術を獲得する過程を「守破離--しゅはり--」という。
 日本人が、中国人のこの継承過程を批判していて、「守破」はできるが、「離」が早すぎるという文章を読んだことがある。

 中途半端にマスターして、もう、分かったオレの思い通りにやる—と決断するタイミングが早いということなのだろう。
 今の中国の飛行機とかの外国からのパクリを見ていると分かる。
 あぁ、高速鉄道でも同じか。
 「離」が早すぎるものだから、なにか、応用ができない。応用がきかない。
 従前のものをそのまま、まるごと真似しただけで、その先の発展がないのだ。

 匠の精神がどうたら言ったところで、「守破離」も理解できない。
 で。お笑いだ—と。