2017年12月6日水曜日

日本人が勝てないからモンゴル人を追い出すのだと日本人バッシング

勝てないから—か。
 まぁ、そうだろうなぁ。

 でも、「勝てない」ということと「追い出す」とは直結していない。
 勝てないのは、日本人が弱いからであり、その通りだ。
 「追い出す」のは、「横綱としての品格に欠ける」からだ。

 これのどこがおかしいか。
 「横綱としての品格を保った言動をする」ことは、相撲というものが日本人から支持され、愛されつづけるための必要な条件なのだ。
 その核心部分を見間違えるな。

 以下、文章を抜粋。

 20171205
【悲報】日馬富士問題、モンゴルでは大変な日本バッシング

モンゴルメディアや現地の人の意見はこんな感じ(ソースTV

・貴乃花の行動が主原因であり悪い
・貴ノ岩のせいで偉大な横綱が退場させられた
・相撲協会の圧力
・日本人が勝てないからやっかみでモンゴル人を追い出した。

補足、感想など

 モンゴルには、「人気のある・稼ぐ格闘技」というものがないのだろうな。
 経験がないというか、どうして「相撲というものに人気があって、江戸時代から続いているか」--その理由が理解できないのだろう。

 その部分が理解できないから、日本人バッシングということに繋がるのだ。
 そもそも、「押出し」なんて、決め手で勝負が決まる-という格闘技が相撲以外に世界にあると思うか。
 なんというかなぁ。
 相撲という格闘技は、格闘技が本来的にもつ「毒」の部分を薄めて無害化しているのだ。
 牙を抜いて、マイルドな格闘技へ変質しているのだ。

 それは、江戸時代を通じて、観客を増やすための不斷な努力・不斷な改変がなされて、日本人好みの格闘機となったのだ。
 日本人は血を見るのを嫌うし、荒々しいことが好きではない。
 それは女性も子供も見るからだろうな。

 荒々しさを排除して、代りに「品格ある言動」を要求するようになったということだろう。
 こうして、日本人好みの格闘技として完成し、今に至っているということだ。

 今度の日馬富士関の言動は、「横綱」としての「品格ある行動なのか」ということから、引退もやむ無しという結論となったものだ。
 まぁ、妥当と言うべきだろうな。

 こういう説明で、モンゴル人が納得しなければ、日本人としてはもう言うこともない。
 モンゴル人好みの格闘技をこしらえて、そこで興行されたらと言うしかない。

 大切なことを繰り返したい。
 日本の相撲では、横綱は横綱なりの・大関は大関なりの、その地位にそぐう「品格ある言動」が求められる。
 それは、日本人から愛され・支持されるための「必要な条件」なのだ。
 相撲は、日本人からそっぽを向かれれば、そこでお終いなのだ。