▲謝罪しないのか—か。
謝罪する必要がないから---。
そもそも、韓国人は1945年まで日本人ではないか。
もし、日本に罪があるとするならば、当然、韓国人も同罪だ。
同罪同士で、とっちが謝罪なんてある訳がない。
また、1945年までの朝鮮半島との一切合切が1965年の日韓基本条約で完全に解決済みだ。
今更、日本はなにをする必要もない。
謝罪? 賠償? なにそれ、美味しいのか?
以下、新聞から抜粋。
中央日報
ドイツ人は良心的だが日本人は無作法だからか。
中国・南京で30万人を殺戮した日本だ。
だが、ドイツ民族の方が正しいというにはまったく苦しい。
600万のユダヤ人を虐殺したのはだれなのか。
敗戦後に日本の政治学会ではファシズム研究がブームとなった。
軍部や官僚がなぜ戦争を行ったのかの診断があふれた。
アジアの被害国に対する謝罪が不十分なことも研究対象に上がった。
結論はこうだった。
まずドイツは責任を転嫁する対象があった。ナチスだ。
ドイツ人がナチスのポピュリズムにだまされあらゆる悪行を犯したので許してほしいという論理が可能だった。
ナチスの核心はみんな非正常な人だ。
アドルフ・ヒトラーは誇大妄想症患者であり、ヘルマン・ゲーリングはモルヒネ中毒者、
ゲシュタポ総帥のハインリッヒ・ヒムラーは男色狂だった
日本は違った。
官僚と軍部全体がファシストに変化する。
東京大学、陸軍士官学校を出た完全な最高エリートたちだ。
彼らが植民地侵略と戦争を主導したのでだれのせいにできるだろうか。
多数派の意見に従う日本人の特性が背景に挙げられた。
法廷に立った日本の戦犯は自身の決定が「当時の状況では仕方なかった」と主張。
周辺の状況が、全体意見が圧迫してきて選択をしたという弁明だった。
ナチスの核心は無謀でも卑怯なことはなかった。
法廷に立ったゲーリングは「オーストリア合併は100%私の責任で行われた」と述べる。
日本軍部に蔓延した「皇道主義」も原因と指摘された。
これは天皇の力を天下に広めるのが正義だと考える思想だ。
捕虜虐待で法廷に立った日本軍看守の弁明は同じだったという。
全員「あれだけ捕虜によくしてやったのにこうするのか」と悔しがった。
捕虜を軍靴で踏みにじったことは悔いなかった。
ただ自身が収容所の施設改善にどれだけ努めたのか強弁した。
捕虜虐待すら天皇の栄光を高めるために当然な行為と信じたのだ。
さらに南京虐殺の責任者だった司令官松井石根はこうした話までする。
「アジアはひとつの家族で、中日戦争も兄が誤った弟を愛していて殴ったもの」と。
罪のない30万人虐殺まで愛から出た行為という詭弁だった。
▲補足、感想など
ふ~ん。
だから、南京大虐殺というものが仮にあったとしたら、同じ日本人として韓国人の父親達も中国人を斬り殺したのだろう。
日本人がなんたら言える立場か。
馬鹿馬鹿しいとしか言いようがあるまい。
記事にある日本人の答え方だが。
日本人の特性として、「空気が読めるのだ」。
もっと言えば、大きく俯瞰したような眼をもっているために、大勢(たいせい)が読めて、大きな流れの中で自分の立ち位置を見つけようとするのだ。
この部分は、もう、論理的に説明できない。
東京裁判などで、アレコレ問われると、「空気に従っただけだ」--と答えたということだ。
島国で、感性がほぼ同じで、顔とか言葉の調子とか、周りから聞こえる声などで、大きな流れが分かってしまうのだ。
記事にある日本人の答え方が卑怯だとは思わない。
逆に、日本人の賢さの表れの一つの形だ。
これが、あるから工場などで一致して仕事ができるのだ。
このあたり、ドイツ人の答えかたと違うというならば、それはもう民族が違うから—としか言いようがないな。
島国故に、論理性が弱くなって、「カン」で勝負できる—それが日本人だ。