▲日本が韓国を見捨てると、これは大変とばかりに、韓国の新聞社と日本にいる朝鮮系洗脳工作員達が、結託して日本へのスリヨリキャンペーンを始めた。
さんざん、日本・日本人を卑しめつづけて喜んでいたのに、日本から見捨てられると、急に態度を変え、こっち向けよ—と言い始める。
カネズルを失ってたまるか—てな話らしい。
以下、長文の韓国からのスリヨリ記事を抜粋。
【日韓】「ヘイトスピーチは『近親憎悪』」、「韓国ではヘイトスピーチが起きない」…日韓地方紙フォーラム、河北新報など主催2015/07/24(金)
地方の視点から韓国と交流促進にかかわっていくか。
「日韓地方紙フォーラム」
が開かれた。河北新報社と韓昌祐・哲文化財団が主催。
パネル
ディスカッションでは、両国の地方紙を招き、両国の地域交流とローカルメディア
の役割などについて意見が交わされた。
■「ナショナリズムと排外主義の克服」
五十嵐 地方新聞の視点から、日韓関係の現状について。
鈴木 韓国を訪れた日本人は、2014年は230万人に。韓国から東北を訪れた人は、2010年は12万人、
12年は約4分の1に。原発事故の影響?互いの国の地方を訪れてみてはどうかと。
森沢 6月に「地方から問う日韓関係」連載を行い。地方で草の根交流が行われた。
さまざまな問題が溶けむき出しになり、ぶつかっている。
洪 日本と韓国は、すばらしい国を作りました。人口5000万以上で国民所得が3万ドルを超えている国は世界で7カ国。首相同士のいがみ合いを、全国紙があおっている。
尹 韓日関係においては、両国民が歴史について草の根の交流をしていれば解決できると思います。日本の歴史認識は、世代や地方と中央
で違う。
韓国においては、被害者としての意識がどの世代も変わりません。
■「記者が見る日韓関係の現状」
五十嵐 ナショナリズムと排外主義を克服するヒントはありますか。
尹 韓国と日本では状況が異なります。韓国に住んでいる日本人は、自発的に来た人が多い。
しかし日本にいる韓国人には、本人の意志に反して連れて来られた人が多い。
在日韓国人
が地域社会に根付くにあたって、政治的・歴史的な衝突が起こりました。
一方、
韓国ではヘイトスピーチが起きることはありません。
日本では地方がヘイトスピーチを規制しようと。
李 相手のことを知らなければ、門を閉ざしがちに。教育からアプローチがされていない気が。
相手に
対する無知が障害にならないように注意したい。
洪 ナショナリズムは劇薬だ。
場合によっては変革の原動力になる
こともあります。
乗り越えるには、自分を客観視して、相手のことも冷静に見る。韓国では高校生の7割が日本語を学んでいました。
こうした事実を見極めていないので、ナショナリズムが悪い方向に走ってしまう。
森沢 韓国との間に国力の差がありましたが、なくなってきました。
ヘイトスピーチは、大都市部で起きています。
法で規制する
方法も考えられますし、救われる人もいるでしょう。
しかしそれでは解決にはならない。「近親憎悪」のようなものがあると。
鈴木 日本の各地に地下壕があります。壁にハングルで韓国の地名が
落書き。
作家の保阪正康さんはナショナリズムには3つの層がある。
国家
ナショナリズムの「A層」、庶民ナショナリズムの「B層」、歪みを伴う「C層」です。
現在は、
上の層が下の層をあおっている状態だと保坂さんは指摘。
■「どう育てる 親善のタネ」
五十嵐 日韓親善のタネと、地方紙が育てるために果たせる役割とは。
李 国家間の競争体制は、地域間の競争体制へとシフトしていく。
対立状況を地方紙がトーンダウンさせて、交流を進めていくことが重要。
尹 信頼構築できる基盤が生まれると。地方紙が、参加
することを願っています。
韓国と十分に語り合える日本のメディアがいることに感銘をうけた。
洪 サイズの小ささが有利になることもあります。
全国紙はどれも同じ内容です。
地方紙こそ光る存在になりうる、ビジネスチャンスもある。
森沢 新潟は、韓国と北朝鮮の両方に縁があります。
北朝鮮への帰国事業の出港地で、1989年にソウルに事務所を構えた。
地域に根差しているから。地方の声は、東京五輪の盛り上がりの声にかき消されてしまうかも。
地方から検証することで、国策や社会全体のありようを浮き彫りにすることもできる。
鈴木 私たちは地方紙のネットワークを構築し、記事のやり取りもしています。
閉じた地域の中で新聞を発行しているわけではありません。地方紙は、距離を置いて報道しようという姿勢。
どうしても国が上で地方は下だと、スパイクタイヤ撲滅キャンペーンは環境政策を変えた。
地方紙のネットワークを、アジア全体の言論人と交流しつつ広めて
いきたい。
▲補足、感想など
ふ~ん。
なんだろうな、この記事。
息をするようにウソをつく韓国人記者とそれに迎合する日本在住の朝鮮系洗脳工作員記者との田舎芝居だろう—と思っていた。
まぁ、全体としては、その指摘は当たっているのだろう。
でも。
最後のあたりは、地方紙らしい意気込みを感ずる文章とはなっていた。
それにしても、韓国人記者の「虚勢ぶり」「被害者意識の強さ」はなんとかならないか。
日本人を叩けばお金がとれる。慰安婦で謝罪させればお金がとれる—とただただ信じているのか。
ことの核心は、2014年に、戦後レジームという朝鮮系洗脳工作員達による「日本人洗脳工作」「世論誘導工作」が、インターネットの日本全国津々浦々までもの普及により、完全崩壊した—ということなのだ。
もう、絶対に元には戻らない。非可逆的なものだ。
ナショナリズムがとうたら、ヘイトスピーチがどうたら—なんて、枝葉のことだ。
核心部分を逸らして、話ができるものか。
上でふれたように、ハッタリ韓国人記者と日本にいる朝鮮系洗脳工作員記者の間で、どうとでも「田舎芝居」を繰り広げばいい。お好きにどうぞ。
日本人は、そんなこと知ったことではない。
日本人は、今、「次なる150年」という新レジームを構築中だ。
その新レジームを構築する段階で、戦後レジームの中で、日本人洗脳工作、世論誘導工作に携わった工作員を排除・放逐することになろう。
朝鮮系洗脳工作員達も、もう、自分達が表舞台から降りるタイミングだということが分かっていよう。
さらば、朝鮮系洗脳工作員たち。
洗脳工作は楽しかったよ。