▲ゆとり教育ねぇ。
そこから、なぜ決別するのか—か。
まず、中国人がどこに興味をもったか見てみよう。
以下、新聞から抜粋。
詰め込み教育から脱却すべく導入された「ゆとり教育」。
しかし、その失敗が指摘され、日本政府は「ゆとり教育」からの決別を打ち出した。
中国メディアは「なぜ日本は『ゆとり教育』と決別することになったのか」と記事を掲載。
日本では数十年におよぶ詰め込み式教育を経て、弊害について反省し、学生の心身の健康や総合能力を重視した教育方法へと転換する試みが行われた、それが「ゆとり教育」だった。
2002年からスタートした教育方針では、教科書の知識を享受する時間が減らされ、代わりに「総合学習」の時間が増やされた。
しかし、出身校のブランドが重視される社会風潮は変わらず、学習塾が競争の「戦場」と化してしまい、「ゆとり教育」は結局「ゆとり」を生むことはなかった。
また、国際的な学習能力調査の結果、「ゆとり教育」実施中の日本人学生の数学的思考や読解能力ランキングが大幅に下降し「ゆとり教育」が批判のやり玉にあげられた。
「ゆとり世代」は差別的な言葉に変化し、その世代の人びとを傷つけることとなった。
一方で、日本は「ゆとり教育」に対して自信を持ち続けるべきだと訴える人もいた。
しかし社会の「ゆとり教育」に対する風当たりは強く、文部科学省も教育方針を否定する姿勢に変わり、「ゆとり教育」は失敗というイメージが根付いた。
記事は、「文部科学省が『ゆとり教育』の目的を説明していなかったことが問題であり、しっかりやっていれば、批判の声は形成されなかった」との意見も出ている。
近年、日本では「ゆとり」という言葉がネガティブに用いられる場面が増えた。
それはひとえに「ゆとり教育」の評判とその末路によるもの。
ただ「ゆとり教育」の否定は、従来の詰め込み重視教育の肯定、復権とイコールではない。
現代の社会に即した、バランスの取れた教育制度や教育方針の構築が求められている。
中国メディアが日本の「ゆとり教育」に注目するのは、自分たちが現在、教育に関する岐路に立たされているからである。
従来の知識詰め込み型教育からどのような教育の形へを転換していくか、日本の取り組みや成果が彼らにとっては大きな参考となる。
▲補足・感想など
このブログでふれた。
「団塊」と「ゆとり」はよく似ている。
それは、外的な条件で、ある境遇に陥ったということである。
団塊は、先の大戦の終結に伴いベビーブームが起こったものだし、ゆとりは、日教組を中心とするエベンキ族教師達が、「俺達も土曜日を休みたい」という望みから、じゃ、授業時間を減らそうという目的のために陥ったものだ。
この団塊が—とか、このゆとりが--と言われるのは同じだな。
もう、一生ついてくるものだ—諦めるしかあるまい。
ゆとりがどうたら---とか言われて悔しければ勉強すればいいこと。どってこともない。
ちょいと、中国人の勉強について紹介された文章があった。
どのようなものか、大体を把握してみよう。
--ここから--
2012/08/19(日)
)
中国の教育は詰め込み式といわれ、教育システムの是非については議論されてきた。
自由な発想は評価されず、点数のみで
決定されるために学生はひたすら問題を解く。
結果、学生たちは
創造性に欠け、クリエイティブな人材が育たないと専門家は警鐘を鳴らす。
また、中国では学歴が出世に影響することから、
役人の多くが博士号を取得している。
なかでも、論文で学位を取得する「論文博士」が増加している。
特に、大学側と役人の癒着した名ばかりの博士号は、学位の最高位である博士の価値を落としている。
2012/11/05
・「僕らには青春も感動もなかったんです!」
「なんで中国人が日本のAKB48に熱中するのか、日本人にその理由がわかりますか? それは、僕たちの中学・高校時代には『青春』や
『感動』がなかったからなんです」
青春?
感動?
一体なんの話が始まったのだろうか。
「多くの中国人は中学・高校時代に勉強した、
いや、させられた記憶しかないと思います。
僕は天津の普通高校に
通っていたが、日本のマンガやアニメによく出てくるクラブ
活動なんて、全然なかった。高校時代は毎晩10時まで学校に残って勉強していた」
中国では、公式には私立の予備校や塾は認められていない。
そのため、
生徒たちは学校に残って教師の指導にもとで受験勉強をする。
その傾向は田舎に行けば
行くほど強いという。
寮生活をしている学生も多いので、夜12時過ぎ
まで教室に残ることもざら。
「クラブ活動があった」と答える人もいたが、それらは「英語クラブ」や「哲学研究会」のような「ほとんど勉強」であり、部室でおしゃべりしたりする日本の部活とはほど遠い。
重点高校
(エリート高)には日本の形態に近いクラブがあり、そうした学校同士が省の大会などに出場するが、それはごく一部の高校に過ぎない。
日本のように野球部、サッカー部、テニス部、吹奏楽部、演劇部といった
多彩なクラブ活動があり、強いチームになれば週末も練習するし、弱いチームであってもそれなりに楽しく仲間と語り合いながら部活を行う
といった光景は中国にはほとんど存在しない。
むろん、「甲子園」(野球)や「花園」(ラグビー)のような伝統ある全国大会もない。
つまり、学校に通う中国の若者の放課後は、学校に残ってひたすら
勉強するか、自宅(または塾や家庭教師について)で勉強するかの
二者択一。
「中国の若者はとにかく勉強づけの毎日」なのだと。
中国出身の強いスポーツ選手もいるではないかと思われるかもしれない。
オリンピックに出場するような若者は、幼い
頃に才能を教師や政府によって見出され、養成コースのある学校に通うため、普通高校には通わず、1日の大半をその競技の練習に費やす。
日本のように普通高校に通い、「普通の暮らし」をしながらオリンピックに出場する選手は皆無だ
・「部活」って、ファンタジーでしょう?
『嘘だ、こんなのはきっとアニメの世界だけだ』と真っ向から
信じない人すらいる。
でも、やっぱり『自分たちも日本人
みたいな青春時代を過ごしてみたい』とも思うのです。
中国人も
放課後、スポーツくらいしますが、スポーツができたからと
いって女の子にもてるわけでも、いい大学に入るわけでもない。
スポーツはただの暇つぶしです。
勉強以外に特技があったって誰にも評価されない。それが中国の価値観であり教育制度というものなのです
・「青春」のありがたみを我々は知らない
王いわく、中国の受験勉強は表層的で、丸暗記すればいいという
無味乾燥なものだが、もともと文武両道は、司馬遷の「史記」にも
登場するように中国が発祥だという。
勉強だけでなく、身体も鍛える
ことによって、健全でバランスの取れた人間として成長できる。
しかし、今の中国からそうした考え方は失われ、ひたすらに
「勝ち組」になるための詰め込み教育が行われている。
そんな中を
過ごしてきた若者が自然と追い求めるのは心の空白部分。
つまり
「青春」や「感動」なのだ。
「私たちは自分たちが経験できなかったものを、日本のアイドルや
アニメを通して学ぶことができた。同時に、そういうものを通して、
日本人の考え方や日本文化も理解できるようになった。
--ここまで--
筆者は団塊の世代だ。
筆者は、詰め込み教育こそ、最高最善の教育方法だと信じて疑わない。
詰め込み教育の核心部分は、「知識は力だ」ということだ。
知識があってこそ、木漏れ日の美しさも風のそよぎのやさしさも理解できる。
暮らしていくこと、生きていくことは、実に単調で淡々と過ぎ去っていく。
こちらがわに「感じる能力」「理解できる能力」があってこそ、やっと上で書いた「風のそよぎのやさしさ」が理解できるようになるのだ。
暮らしていくことの楽しさ、日々、食事をし、人と語り、仕事をしていくことを楽しいと感じるには、こちらがわに「そう感じる能力」が必要だということだ。それができなければ、禽獣に近い。
それが知識だ。
知識こそ、そう感じる能力の源泉だ。
知識を得るのは、詰め込み教育こそ、最高最善の手段だ。
筆者のいう詰め込み教育が、記事で中国人が語っているものと中味が異なるようだが、まぁ、そのあたりは個人差ということで。