▲インターネットを金盾なるアホな制限をかけておいて、その制限された情報の中で発想する—という民族ってなんだ?
落とし穴を自分でこしらえておいて、その自分がつくった落とし穴にはまってあっぷあっぷしているのだ。
まったく、「金盾アホ」とでもいう存在だな。
その金盾アホの狂った視点でみると、「パクリ」にはパクリの価値があるそうな。
以下、新聞から抜粋。
中国メディアは、日本製造業の衰退を分析すると中国製造業の発展に役立つ教訓や啓発が得られると主張。
記事は前提として、日本の電機メーカーは日本の製造業の代表であり、一部電機メーカーの衰退は日本の製造業全体の衰退を示すと主張。
この前提のもと、日本の製造業の衰退原因の1つは「匠の精神」に傾倒し過ぎたと主張。
匠の精神を称賛しつつも、傾倒し過ぎれば研究開発にコストをかけ過ぎたり、開発に長すぎる時間を費やすことによって「企業の発展を抑制する要因となる」可能性があると。
さらに、日本の製造業衰退には、他国のイノベーションに見倣おうとしなくなったことも原因だと説明。
明治維新の時代から第二次大戦まで日本製造業は「パクリ」で成長を遂げてきたが、1970年代から1990年代にかけて「イノベーション」が発展の主要な力になったと主張。
しかし、それ以後日本は「パクリ」を低く評価するようになり、結果として「米国や韓国、中国企業のイノベーションに見倣おうとしなくなった」と論じた。
中国製造業が得られる啓発として、現在の中国には「パクリ」を見下す言論が多く存在するが、他国の技術を模倣・追随することの大切さを過小評価すれば日本製造業のように衰退するという見方を示した。
以下、日本人の感想。
日本の家電企業の衰退が日本の製造業全体の衰退を示すという記事はあまりにも乱暴。
トムソン・ロイターの「Top100 グローバル・イノベーター2015」に40社の日本企業が選出されているという事実は日本企業の実力のほどを示している。
また「匠の精神」が「企業の発展を束縛する」可能性についても、高いクオリティを求める日本市場で鍛えられた商品だからこそ世界市場でも通用する。研究開発にコストをかけ過ぎたり、開発に時間を費やし過ぎとも見える努力があってこそ、世界市場で通用する商品が生まれると言えるのではないか。
▲補足、感想など
中国人のパクリ肯定の文言は、逆に言えば、「パクリ」しかできないからであろう。
中国の教育制度も、本当に教育たりえているのか?
パクリについては、日中の違いにふれたことがある。
中国のパクリは、単なる「パクリ」だが、日本のパクリは、「守破離」という様式美にまで高めている。
ちょいと、「守破離」について文章を紹介しよう。
--ここから--
守・破・離(しゅはり)
仏教では習。絶・真ともいい、あらゆる道の修行における順序段階を教えている。
・守―教えを守り私意をさしはさむことなく、ひたすら基本を身につける段階である。書道の楷書にあたるもので、一点一画をゆるがせにしない心配りが大切である。
・破(は)―守の殻を破り躍進する時代である。いままでの教えを基礎とし、中核として、自己の知能や個性を発揮して次第に自己の剣道を創造する時代で書道の行書にあたる領域である。
・離(り)―孔子の七十にして矩(のり)を超えずの境地であり、あらゆる修行の結果我が思いのままに行動して、いささかも規矩にはずれることなく、一つの形や流儀流派にとらわれることもなく、自由闊達に自己の剣風を発揮できる時代である。
--ここまで--
パクリといえば、パクリ—でも、ここまでの様式美に昇華しえたところが、日本人ゆえと思うが。
ついでに、中国人、韓国人にもふれてみよう。
--ここから--
日本の場合、守破離の守破の段階が徹底される。
特に中国の場合は見切りが早すぎて直ぐ離れるからクオリティが維持できない。
韓に至っては守すら怪しい。いきなり簡単な道を選ぶ。
--ここまで--
中国人は、頭の回転が早過ぎるのだろうな。
ものになるかどうか—を早く判断しすぎて、守→破といき、そこから「離」へ移るのが早過ぎるのだろう。
だから。質が維持できない—と日本人から批判されるのだな。
まぁ、記事の文章では、中国人は、この「守破離」という概念すらも理解していないようだ。
「金盾アホ」と日本人から言われても仕方ないのではないのか。