▲圧力を加えれば---か。
ふ~ん、そうでたか。
岸井さんのようなエベンキ族工作員達から放送に圧力がどうたら、自由な表現がどうたら—とか、こりゃ一体なんなんだ?
言えばいいではないか。
お好きなだけ。お好きなように。
思うように思い切り書けばいい。
そのようにして、戦後から2000年頃までの戦後レジームの中で慰安婦を捏造し、なんとか歴史観をでっちあげてきたのではないのか。
今まで通りにやればいいこと。
ただ。
2010年頃に日本全国に普及したインターネットがあるから、一般人からも主婦達からも批判される—ということであろう。
だから。
一般人からの批判に耐えるだけの合理性をもたせばいいこと。
真に合理性・科学性があるなら、いかなる批判に耐えることができるだろう。
逆に言えば。
簡単に引っ込むのは、報道の中身に合理性・科学性がない、ないしは不足しているからであろう。
日本にいる500万人もの主婦達を納得させるだけの合理性のある報道をすれば、なんの問題もない。
合理性・科学性に欠ける報道をして、主婦たちを怒らせるから、批判の矢面に立ち、舞台から降りざるを得なくなるということではないのか。
以下、新聞から抜粋。
私たちが日頃、見ているニュース番組の周辺が何かと騒がしい。
「圧力」「電波停止」「キャスター降板」…そんな言葉がこのところ、“ニュース”として報じられている。
参議院選挙を直前に控えた今、私たちが知るべき情報は本当に伝えられているのだろうか。
『NEWS23』のアンカーだった毎日新聞特別編集委員の岸井成格さんが、ニュース番組について語る。
事実を伝えるだけなら、人工知能にだってできること。
事実があり、その裏側にはこういう意味があるという“解説”までできなければニュース番組ではありません。
古今東西、権力は必ず腐敗し、時に暴走してきました。
特にその権力が、多数決で圧倒的な力をもっていると暴走しやすくなります。
これにストップをかけるのがメディア、とりわけジャーナリズムです。
本来、報道は、政府による権力の暴走を止める役割も持っているのです。
決して政府の広報局ではありません。
安保法案についても、単に政府の発表を放送するだけなら、良い法律のように見えてしまう。
でも、その裏には危険な思惑があることをしっかり解説して問題を投げかける責任が、ニュース番組にはあります。
その点で、日本のニュース番組のジャーナリズム精神は失われつつあります。
政府や権力に甘く見られ、圧力をかければ屈すると思われてしまっているのです。
別に権力に反抗したからといって、番組を止められるわけではありません。
テレビ局のトップ、そして現場で番組作りに携わる人にはどんどん声を上げてほしいと思いますね。報道機関の使命を再認識してほしいです。
▲補足、感想など
冒頭でふれた。
どうぞ、思うように言えばいいこと。
一般人もまた、同様に思うように批判しているだけだ。
そもそも、エベンキ族工作員である岸井さんなどが、安保法案にどうこういうのは、韓国から中国から日本を叩きやすくするという目的だろう。
自分で自分の手足を縛っている人間を叩くのが簡単だというのと同じではないか。
戦後レジームの中で、呪文のごとく唱えていた、「日本を叩けばお金がとれる」ということをやりやすくするためではないか。
もう、戦後レジームは完全崩壊している。
岸井さんのようなエベンキ族工作員達を、日本人はまるっきり信じていない。
もう、だまされはしない。ミスリードなど絶対にされない。
二度と日本人を卑しめる・おとしめるためにでっちあげられた「捏造慰安婦」のようなことをエベンキ族工作員達に許しはしない。
日本は、もう、次なる150年という新レジームに突入しつつある。
新レジームを構築するに当たって、後ろ頭に目玉がついているようなエベンキ族工作員は、日本人にとって足手まといなのだ。
日本人からのエベンキ族工作員への攻撃は一層激化していくだろう。
さらば、韓国。
さらば、日本にいるエベンキ族工作員達。
戦後レジームは楽しかったよ。