▲表題は、記事からとった。
大島さんという論説委員の記事らしい。
なにか、ちょいと斜に構えた—そんな記事だな。
もしかして、書いたのはevenki族の記者かもしれない。年齢も筆者とそう変わらないだろう。
筆者はこんな風に考えるかなぁ—そう思った記事だ。
以下、新聞から抜粋。
あの日、編集局で平成時代のスタートを迎えた。
1989年1月8日の未明。昭和天皇逝去から18時間。
「『平成』元年幕開け」の見出しが躍る試し刷りを手にした。
記事には「平成」と読みがなが振ってあった。
ほとんどの国民が初めて体験する改元である。
どんな時代になるのだろう、世の中はどう変わるのか……。
日本だけに通用する区分なのに、元号でくくられた時代に、人々はさまざまな思いを託す。
その平成が終わる。天皇陛下の退位を認める特例法案が今国会で成立、平成の終焉と新時代到来のドラマが動き出す。
来年は新元号発表、年末に新天皇即位、ほどなく改元といったスケジュールが想定される。
となれば、懐旧の念が募る平成時代だが精彩には乏しい。
世変わりのころ絶頂だったバブルは崩壊し、以後曲折を経たがパッとしないままの歳月だ。
少子高齢化が進み、生産年齢人口は細る一方である。
政治はしきりに改革を叫ぶが痛点を避けてばかりだ。
若者も高齢者も将来不安におびえ、いきおい「守り」に走る。
平成の終わりに立ち会うとき、もうすこし元気のいい時代への転換を待望する気分が盛り上がるかもしれない。
折しも、来年は明治元年から満150年。
政府は68年の、「明治百年」に準じた記念式典を挙行し、各種イベントを仕掛ける。
平成から新時代への幕あいを、タイミングよく「栄光の明治」がよぎる。
「明治以降の歩みを次世代に遺す」 「明治の精神に学び、さらに飛躍する国へ」--。
各省庁や地方自治体に「明治150年」関連施策の推進を呼びかける文書は明治をこうたたえる。
立憲政治を導入し、鉄道を敷き、学校をつくり、能力本位の人材登用を進めた明治期。
近代化への道をひた走ったこの時代に光をあてることで「日本の強みを再認識」すべきだという。
明治への思いもわかるが、それにしても称揚一色の書きぶりではある。
栄光の裏には悲惨があり、勝者の陰には敗者がいる。
維新では多くの血が流れ、戊辰戦争に敗れた奥羽越諸藩は塗炭の苦しみを味わった。
「敗者の群れの住む所として東北地方に新たにレッテルが貼りつけられた」と佐々木克の名著「戊辰戦争」は言う。
「栄光の明治」の象徴のように語られる日露戦争にも多様な視点は必要だ。
旅順陥落や連合艦隊の物語は華々しい。
しかしこの勝利は満州への足がかりをもたらし、昭和の戦争の導火線となった。
新興国ならではの苦悩を伴っていたのも、明治という時代だろう。
夏目漱石が「三四郎」のなかで、広田先生に言わせた有名な言葉がある。
日露戦争に勝って日本はどんどん発展するでしょうと言う三四郎に、先生は「滅びるね」と、つぶやく。
そういう多面的な見方を含んだ「明治150年」であってほしい。
しかし平成時代の日本を覆いつづけてきた閉塞感は、昨今はやりの「日本スゴイ」を生んだ。
それは「明治スゴイ」にもつながるメンタリティーだ。
政府の明治礼賛は、時代の空気をしっかり映していよう。
かつて「明治百年」のときにも、じつばたくさんの議論があった。
式典で斉唱された記念の頌歌は、(光あり 誇りあり ここに百年……と礼賛調だった。
それでも佐藤栄作首相は式辞で「大きな犠牲をも払わなければならなかったこの百年間の苦難の歩みのなかから、多くの教訓を学びとる」べきだと述べている。
負の歴史を、まだ社会が共有していた時代だったのだ。
それから半世紀。まさしく明治は遠くなるなかで到来する150年」だ。
つかの間、明治の光や誇りに酔ったとして、その先には平成時代に手をつけなかった多くの問題が待ち構えてもいる。
▲補足、感想など
ふ~ん、evenki族工作員かな。この人。
いかにも慎重に書いているが、なにか下心がチラチラするなぁ。
明治100年と明治150年との間には、日本の「日本人弱体化工作」であった戦後レジームの完全崩壊がある。
もう、日本人は、いかにも日本人の顔・フリをして偉そうに喋る・文を書くevenki族の人間を信用などしていない。もう騙されはしない。
日本人を卑しめたかったのなら、通名ではなく本名で書け。
いや、どこかに行った。
明治維新からの150年というものは、100年先行された産業革命組の諸国の背中ばかりを見続けてきた歳月であった。
戦後は特にアメリカという国の背中を見続けてきた。
2014年頃に、インターネットの普及により、戦後レジームが完全崩壊してみると、アレッ、もう、産業革命組の諸国の背中が見えないのだ。
様々な手段で、日本人はミスリードされていたのだろうな。
今、日本は、16世紀末から400年ぶりくらいに、世界の最先端に立っている。
明治維新の際、いつかは欧米列強達と肩を並べたい—というのは、伊藤・大久保達、元勲の望みであった。
150年近くも、長い長い坂をやっと登りきったところに日本人はいるのだ。
もう、日本人には手本も見本もない。目標すらも定かではない。
頼みは、己の眼と才覚だけだ。
明治維新からの150年という歳月を、もう一度日本人として見直し、記録に残していきたいものだ。
19世紀後半、日本は産業革命に100年も遅れるのろまな貧しい農業国であった。
そこから150年という歳月で、世界の最先端に到達したのだ。
充分に誇れる歴史であろう。
福島原発の事故からどう対応したか---というのも、記録として重要なものであろう。
同様に、明治維新から150年で世界の最先端に到達したという歴史も充分に重要なものだと思える。