▲侵略ねぇ。
それは、大ノロマ・人食い中国人の言い分だろうな。
どうとでもなんとでも言ったらどうさ。<なお、日中間での戦時賠償問題は完全に解決済みだ。いまさら、日本は中国に対して、なにをする必要もない。謝罪?賠償? なにそれ、美味しいのか>
結局、核心の部分は、日本と中国との国家・民族としての「成長の速度」の差だろうな。<その速度差の根底にあるものは、おそらく両民族の識字率の差だ>
大ノロマ民族には、100年先を進む日本という国がそう見えるということでしかあるまい。
まず、中国の新聞から抜粋。ちょいと古い記事なのだが、人食い中国人がうるさいので、ここで取り上げたい。
中国に存在する反日感情の根源は日清戦争から始まる日中の歴史問題であり、同問題は日中関係に今なお影を落としている。
中国では「日本は侵略国」であるというのが一般的な認識で、「日本は今でも中国侵略を諦めていない」という中国人も少なくない。
今日頭条はこのほど、「日本はなぜ他国を侵略したがるのか」と疑問を投げかけ、それは日本が「島国だからだ」と主張する記事を掲載。
日本と中国は海で隔てられているが、双方の往来ははるか昔から存在していたとしながらも、「日本が中国を侵略したことで、日本は中国人がもっとも恨みを抱く国となった」と主張。
日本の侵略によって中国の大地は中国人の血と涙と悲しみで染まったと論じた。
日本はこれまで中国のみならず、朝鮮半島も侵略の対象としてきたと主張し、日本が他国を侵略しようとするのは「日本が侵略を好むという要因以外に、島国であることも理由の1つだ」と主張。
日本は典型的な島国国家だとし、日本の国土面積は中国を圧倒的に下回り、天然資源も限られていることから「資源の豊富な隣国に視線を向けるしかないのだ」と主張。
また中国は数千年の歴史のなかで周辺国と数多くの接触と交流を保ってきたとし、それによって中華民族は温和で包容力のある精神が醸成されたと主張。
一方、日本は島国だからこそ他民族と接触する機会が少なく、それによって「偏狭な精神が醸成された」とし、島国であることが日本が中国を侵略した根源であると主張。
▲補足、感想など
まぁ、コケオドシとハッタリと捏造にまみれた記事ではある。
こういう記事を書いて面白いか?
じゃ、日本人から中国人に尋ねようか?
なぜ、中国人って、そんなに大ノロマで、かつ、人間を食うのだ?
人肉って美味しいのか?
えっと、どのあたりから。
ちょいと掲示板で紹介されていた「中国と日本との差」についての文章を提示したい。
--ここから--
『国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源(下)
』
ダロン・アセモグル,
ジェイムズ・A・ロビンソン,2013
早川書房
第一〇章 繁栄の広がり
世界の一部の地域は、いかにしてイギリスとは異なる道筋で繁栄に至ったのか。
一九世紀中頃、中国と日本はともに貧しい国家であり、絶対主義政権のもとで活力を失っ
ていた。
中国の絶対主義政権は、数世紀のあいだ改革には懐疑的だった。
中国と日本には多
くの類似点があった。
たとえば徳川将軍は一七世紀、海外交易を禁じ、政治経済の改革に反対した。
しかし、政治的には顕著な違いがあった。
中国は絶対主義的な皇帝の統治する中央集権的な官僚帝国だった。
皇帝がみずからの権力に対するい
くつもの制約に直面していたことは確かで、なかでも最大の脅威は反乱だった。
一八五一年
から一八六四年にかけて、太平天国の乱により中国南部の全域が破壊され、戦闘や大飢饉のせいで数百万人が命を落とした。しかし、皇帝への抵抗は制度化されていなかった。
日本の政治制度の仕組みは違っていた。
将軍政治によって天皇は表舞台を退いていたものの、徳川家の権力は絶対的なものではなかった。薩摩藩のような
藩は独立を保っており、海外と交易することさえできたのである。
…薩摩藩の指導者たちは、経済成長を――ことによると日本の存続さえ――実現する
には、制度を改革するしかないことを認識していた。
ところが、将軍はそれに反対した。
みずからの権力が既存の一連の制度に結びついていたためだ。
改革を断行するには将軍を打倒するほかなく、実際にそうなった。
中国でも状況は同様だったが、当初の政治制度が異なっていたせいで、皇帝を打倒するのははるかに難しかった。
それが現実になったのは、一九一二年になってようやくのことだった。
中国人は制度改革によってでなく、近代兵器の輸入に
よってイギリスに軍事的に対抗しようとした。一方、日本人は自前の軍事産業をつくりあげた。
こうした当初の違いの帰結として、日本と中国は一九世紀の難題に異なる対応をした。
産業革命によって生じた決定的な岐路に際して、まったく別の進路をとったのだ。
日本では諸制度の改革が進められ、経済は急成長の道を歩んでいたのに対し、中国では制度改革を求める勢力に力が足りず、収奪的制度の大半は衰えることなく存続した。
やがてそれらの制度は、
一九四九年の毛沢東の共産革命によって、いっそう悪い方向に向かったのである。
--ここまで--
つまり、日本は19世紀後半に明治維新を成し遂げ、20世紀前半で自前の軍事産業を作り上げたということだ。江戸時代でも70%くらいあった識字率は、20世紀半ばで100%近くなっていて、問題なく近代化に勤しめた。
対して、中国は20世紀始めで、ようやく辛亥革命をおこして、清朝を倒すが、以後、群雄割拠の時代となり混乱を極めた。
1905年の日露戦争に勝利した日本は、関東州にあったロシアの租借地を引き継ぐことになったのだ。
以後、日本はこの南満州鉄道等の利権を守ること、そこに関わる日本人の安全を守ることに懸命となった。
一連の流れをみていると、20世紀の前半、中国より100年先行していた日本人は、日露戦争で勝利し獲得した租借地と鉄道などの利権を、100年遅れの識字率1桁台の中国人(黄巾賊のような無頼の徒)達から、守ることに必死となり、黄巾賊達と小競り合いを繰り返していた—ということだろう。
この小競り合いが、段々拡大していって満州国の建国へと繋がっていったのだろうな。
これが、侵略か?
人食い中国人は、言いたければなんとでも言え。日本人は、そこに住む日本人の安全と利権とを守りたかっただけだ。
冒頭でふれたように、国としての・民族としての成長速度の「差」が、こういう具合に顕在化したものだ。
20世紀半ば、日本人は識字率ほぼ100%、中国人は、1桁台だろう。
これで、勝負になるものか。
中国人にとって、19世紀前半のアヘン戦争、19世紀末の日清戦争、辛亥革命の失敗 、シナ事変と直視するには惨めすぎる歴史であろう。
でも。
中国人が産業革命に200年も遅れるような大ノロマなのは、別に日本人のせいではない。
今もって、識字率が30%を越えたあたりであるのも、日本人のせいではない。
今もって、中国人が人食いなのも、日本人のせいではない。
中国人は、自分を直視するしかあるまい。