▲核心は、歴史というものがキチンと蓄積されていくかどうか—というところにあるのだろう。
中国人のいう5千年の歴史といったって、その期間の文化とか、試行錯誤がキチンと蓄積されて残っているのではない。
ただ、膨大な時間が流れた---ということにすぎない。
黄河上流付近で小麦をつくって食べていた民族に、北の草原地帯から剽悍な遊牧民族が次々に襲いかかって、耕作民族はちりぢりになって逃げ回り、当然、文化もこわれやすい文化財も粉々になっていったということだろう。
対して、日本は他民族から襲撃は受けたものの、支配されたこともなく、ほぼ2千年の文化というものが蓄積され、遣唐使で中国から持ち帰ってきた王羲之の筆記体の写しが、いまだに日本に現存しているという世界なのだ。
ちょいと、ウィキペディアから茶道について、転記しよう。
--ここから--
初めて中国から体系的に茶の知識を持ち込んだ書物は唐の陸羽(733年
- 804年)の書いた『茶経』と言われている。
この本には、茶の木の育て方、収穫方法と道具、たてかた、飲み方、歴史などが書かれている。
茶を飲む習慣と茶の製法は平安時代に遣唐使によってもたらされた。
当時の日本人は、茶を薬としてとらえており、必要量のみを煎じて飲んだと考えられている。
鎌倉時代に日本に禅宗を伝えた栄西は、中国から持ち帰った茶を九州に植えた。
また、明恵上人にも茶の種を送り、それが宇治茶の起源とも言われる。
茶の栽培が普及すると茶を飲む習慣が一般に普及していった。
栄西は1214年に茶とともに『喫茶養生記』を源実朝に献上し、武士階級に茶が広まる足がかりとなった。
1223年には加藤四郎左衛門が宋で陶器の技術を学び、帰国後尾張に藤四郎焼の窯を開いた。
室町時代においては、闘茶という、飲んだ茶の銘柄を当てる博打が流行した。
また、中国の茶器「唐物」がもてはやされ、大金を使って蒐集し、これを使用して盛大な茶会を催すことが大名の間で流行した。
これに対し、村田珠光が茶会での博打や飲酒を禁止し、亭主と客との精神交流を重視する茶会のあり方を説いた。これがわび茶の源流となっていく。
1472年、義政は東山に隠棲した。隠居所に建てられた東求堂に、同仁斎と呼ばれる日本最古の書院茶の湯形式の茶室がある。
この四畳半の簡素な小部屋で禁欲的な茶礼と、唐物数寄の人々のによる中国渡来の美術品の鑑評会が融合し、書院茶の湯として展開した。
わび茶はその後、堺の町衆である武野紹鴎、その弟子の千利休によって安土桃山時代に完成されるに至った。
--ここまで--
千利休の茶道の完成といったって、その前にどのような試行錯誤があるのか分かる。
つまり、中国と日本との差は、この「試行錯誤の蓄積の差」なのだ。
以下、新聞より抜粋。
日本文化の1つである「茶道」だが、茶の文化そのものの起源はあくまでも中国にある。
しかし、日本で独自の発展を遂げた茶道が、世界的な知名度を獲得したことについて、中国メディアは、「中国を源とする日本の茶道は中国の茶文化をはるかに超越する存在となった」と論じる記事を掲載。
中国には茶で有名な産地が存在し、飲まれるお茶の種類も多い。
お茶の道具も様々あり、お茶を愛し、おしゃべりをしながらお茶の時間を楽しむ人は多く存在する。
だが中国で親しまれるお茶の文化と日本の茶道は大きく違う物であり、日本の茶道は1つの形式化された作法で客人にお茶をふるまうものだと伝え、日常の生活における作法や形式を宗教や哲学、倫理、美学と融合させた総合的な芸術活動であると紹介。
さらに、お茶によって客人をもてなす以外に、「日本のお茶の席は礼儀作法を学び、精神を練り上げ、美意識や道徳観念を培う場」ともなることを紹介。
お茶室の空間は心を静め、雑念を除き心身を融合させてゆく場であり、それゆえ会話の内容も「商売や金銭などの世俗的な話題は許されない」と紹介。
こうした精神的な部分については中国人にとって理解しづらい文化の一面に感じられるかもしれないが、日本の茶道はお茶を飲むことだけでなく、「一連の形を重視している」と説明。
源をたどれば中国が発祥となるお茶の文化が日本に伝わり独自の発展を遂げたことについて、「起源が中国にあるのに、茶道のように本家の中国を超えた文化は数多くある」と伝え、中国は自国の文化をもっと大事にすべきだと提言。
▲補足、感想など
冒頭でふれた。
大事にするしないという話ではないな。これは。
日本という国は、各自の試行錯誤が保存され、師弟制度の中で、守破離という過程を経ながら、少しづつ完成に近づいていったものだ。
千利休が茶道を完成した年代を考えてもみよ。
戦国末期、昨日は敵であった相手と同じ茶室の中で、お茶を飲んでいたのだ。戦国の武将達は。
なにか俗世と切り離されたような空間を作っていたのだろう。
このあたり、現在のアニメなどの中国と日本の「差」に通じていよう。
日本のアニメは、上でふれたように2000年という長期間に亘って蓄積された「試行錯誤」を背景としてもっているのだ。<鳥獣戯画、北斎漫画などを見よ>
対して中国はどうだ?
文化大革命でなにもかも破壊してしまってなにも残っていまい。
つまり、この「試行錯誤の蓄積の差」が、日本のアニメと中国のアニメの「面白さの差」となっているのだ。
2000年 対 数十年 では、比較にもなりはしない。