2017年5月31日水曜日

日本赤軍・岡本公三容疑者の言葉を読んで

もう、いつだったか。
 岡本という人の「気の狂ったような顔」を見たのは。
 40年くらい前かな。

 今、文章を読んでみると、少なくともキチガイではない。
 すると、一時期錯乱状態であったか、気違いのふりをしていた—ということか。

 岡本という人の背景を筆者は殆どしらない。
 無差別に空港にいた人に対して発砲できるというのは、「狂気」に踏み込まなければできないことであろう。

 「狂気」に踏み込んだ人間が、まともな世界へ帰れるものか。
 どこまでも、どこまでも「狂気」の中で生きればいいのではないか。

 以下、新聞から抜粋。

 45年前の1972年5月30日に起きたイスラエルのテルアビブ空港乱射事件で、実行役として生き残った日本赤軍、岡本公三容疑者(69)=殺人容疑で国際手配=が取材に応じた。
 事件については武装闘争だったと正当化したが、「一度は帰りたい」と日本への郷愁も口にした。
<岡本公三「最後のインタビュー」で語った亡命生活と望郷の念>
 日本赤軍は1970年代、重信房子受刑者(71)のもと結成され、共産主義を掲げパレスチナ解放人民戦線(PFLP)などと連携。
 テルアビブの事件を手始めにハイジャックや公館占拠事件を起こした。
 91年のソ連崩壊後は衰え、2001年に解散したとされる。

 空港乱射事件はパレスチナ問題と無縁の日本の若者が捨て身で実行したテロとして世界に衝撃を与え、その後の自爆テロへつながっていった。
 岡本容疑者は4月下旬、亡命先のレバノンの首都ベイルートで、記者の質問に答えた。

 事件について「犠牲者に哀悼の気持ちを持っている」と語った。
 だが「事件はテロではなく、PFLPと共同で起こした武装闘争だった。武装闘争は今も昔も最高のプロパガンダ(政治的宣伝)になる」とし、多数の命を奪った残虐なテロ行為自体への反省や謝罪の言葉はなかった。

 帰国の意思については「日本で24年間過ごしたが、その後はずっと中東。一度は帰りたいが、普通には暮らせないだろうから帰国にこだわりはない」と語った。
 その一方で「20年に東京で五輪が開かれる。父には生きている間に会いたかった」と、望郷の思いをにじませた。
 かつて目指した世界革命が起きていないことへの感想も聞いたが、答えなかった。
 関係者によると岡本容疑者は現在、ベイルート市内で暮らす。
 レバノンの地方都市を旅行することもあるが、不測の事態に備えて常時ボディーガードが付いているという。

 現地で岡本容疑者を保護するPFLPレバノン代表、マルワン・アブデラル氏も取材に応じた。

補足、感想など

 筆者と同年齢であり、同じ世代である。
 岡本容疑者のウィキペディアから概略を転記したい。

 --ここから--

1.生い立ち
 熊本県葦北郡芦北町生まれ。熊本マリスト学園高等学校卒業。
 京都大学を二度受験したが失敗し、1968年、鹿児島大学農学部林学科に入学。
 1971年、鹿児島大学にやってきた若松孝二・足立正生監督の映画『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』に共鳴し、上映運動を展開する「赤バス隊」に参加。
 19723月、日本赤軍に加わった。

2.テルアビブ空港乱射事件
 1972530日に奥平剛士・安田安之と共にテルアビブ空港乱射事件を実行し26人を殺害、ただ一人逮捕された(奥平、安田は死亡)。
 このとき、鹿児島大学から放学の懲戒処分を受ける。
 同年713日に岡本はイスラエルで裁判にかけられ、職業として「赤軍兵士」を自称。
 また陳述のなかで民間人を殺害したことについて謝罪せず、また「事件は当初は3人ではなく丸岡修を含めた4人で行われる予定であったが、丸岡は途中から別行動を取ったために3人で襲撃を行った」と供述。

3.終身刑と釈放
 イスラエル政府は最終的に終身刑が求刑され、終身刑が判決として確定した後に服役。
 1985年にイスラエルとPFLP-GCとの捕虜交換により釈放。
 リビア・シリアを経由して、日本赤軍が本拠地としていたレバノンに戻り合流。
 その後、1997年にレバノンに潜伏していた日本赤軍メンバー5人が検挙され、禁固3年の判決が確定し、20003月出所。
 岡本以外の4人は禁固刑の執行後、日本に送還された。
 しかし岡本については、日本政府がテルアビブ事件の刑事責任を問おうとしていることを「一事不再理に反する政治的迫害」であるとして、レバノン政府は岡本の政治亡命を認めた。

4.亡命後
 200032日にイスラム教に改宗する。2002年、「ザ・スクープ」が、レバノンに潜伏中であった岡本の独占取材を実施、住居内でインタビューを行っている。
 2001年に壊滅した日本赤軍が存在しているか否かについては、把握できていない様子だった。 
 その一方で、「まだ事件当時の24歳のままの気持ちである」とも語っている。

 2003年、岡本は、「日本に帰って昔の友人たちに会いたい」と望郷の念を語っている。
 その際の岡本は動作が緩慢で健康に問題がある様子であった。レバノン政府は「岡本がイスラエルの獄中で治安機関から拷問を受けた後遺症による精神疾患で、発語などに障害を負った」としている。

5.現在
 現時点で、PFLF、ヒズボラなどイスラエルと敵対する勢力の庇護を受けてレバノンのベイルート郊外のアパートに在住。2010428日に、ベイルートの奥平剛士の墓前で行われた日本のロックバンド、PANTAによる追悼ライブに姿を見せた。

 2011年には、日本の支持者とSkypeで定期的に連絡を取っており、健在であることが伝えられた。国際刑事警察機構では現在でも岡本を国際指名手配中である。
 2016514日、ベイルートで取材に応じ、パレスチナに骨をうずめたいと語り、死者の多くがプエルトリコ人だったことに「犠牲者には哀悼の意を表したい」と謝罪の言葉を口にした。

 --ここまで--

 岡本という人の「狂気」を生み出した根源のものがなんであるのかは、分からない。
 彼の支持者なるものが、どのような人たちなのか見当もつかない。
 こうしてみると、日本赤軍なる狂気に満ちた集団の核心部分が今もってボンヤリとしている。まぁ、明らかにできないのだろうな。

 狂気の中で、トコトン生きればいいではないか—と筆者は思う。

 ★追記
 この岡本公三容疑者、日本赤軍の背後にあるものが、記事となっていた。ご紹介したい。
 --ここから--

 自分名義の口座を不正に開設し、国際指名手配中のテロリスト岡本公三容疑者(日本赤軍)を支援する団体に使用させたとして、人民新聞社の社長が詐欺容疑で逮捕された事件で、容疑者の釈放と抗議を求めるフェイスブック投稿を社民党の多摩市議会議員がシェアして拡散していることが判明した。 
 容疑者の釈放を求める投稿をシェアしたのは、社民党の伊地智恭子多摩市議会議員。社民党議員が日本赤軍支援口座開設の容疑者釈放を求める、もはや正体を隠さなくなったテロ支援政党 

関連:レバノンの日本赤軍支援か 口座不正開設容疑で左翼紙社長を逮捕 兵庫県警
自分名義の口座を第三者が使うため不正に開設したとして、兵庫県警警備部などは21日、詐欺容疑で、左翼系新聞を発行する「人民新聞社」(大阪府茨木市)社長、山田洋一容疑者(60)=兵庫県尼崎市南塚口町=を逮捕した。
 関係者によると、口座は日本赤軍メンバーで国際指名手配されている岡本公三容疑者(69)の支援団体が使用。

 口座に入金された約1千万円のほぼ全額が、岡本容疑者が亡命したレバノンで引き出されていた。

 2017年11月26日
>日本赤軍のお仲間2名と合わせ、この事件で26人コ.ロ.してんだぞコイツ?
>ついでに100人近い人が重軽傷を負った。
>そして、この事件でコイツら日本赤軍を支援していたのが北朝鮮だった事が既に判明している。

 そうそう、
 で、56された被害者は裁判を起こしている、むろん相手は北朝鮮。

 --ここまで--

 なるほど。
 岡本公三容疑者って、北朝鮮系のevenki族という可能性が高いな。名前は通名だろう。
 日本赤軍というグループのあの「理不尽なまでの狂気/他者への理不尽なまでの憎悪」というものが、どうにも理解できなかったが、北朝鮮出身というなら、納得できる気がする。(親近相姦を原因とするdna混乱によるevenki族特有の火病を見てみよ)

 社民党もいよいよなくなるようだ。
 筆者の若い頃(1972年頃)に起こった事件を振り返ってみて、北朝鮮にその由来がある--と知って、事件の出発 → 終結までの流れがようやく読めた感じがする。
 それにしても「日本」赤軍か。「北朝鮮」赤軍にしたらどうだ。