▲まぁ、あいもかわらず、大口を叩くハッタリ・コケオドシ・人食い民族ではある。
英国の産業革命に200年もおくれ、20世紀半ばに自国を守る武器すらもつくれないほどの「大のろま」の歴史を振り返ると、その惨めさに「正視」もできないようだ。
その「自民族の正視に耐えないほどの惨めな歴史」が返って、日本・日本人へのハッタリ・コケオドシの原動力となっているようだ。
まぁ、言うだけ言えばいいさ。
口で言うのは簡単だ。
以下、新聞から抜粋。
経済成長を実現して今や世界第2の経済大国になった中国は、「旧・世界第2の経済大国」をライバル視するようになった。
中国メディア・今日頭条は、「この4つの産業を打ちのめせば、日本は江戸時代に戻ることになる」とする記事を掲載。
記事が1つ目に挙げたのは、日本の自動車産業だ。
トヨタ・ホンダ・日産・マツダ・スズキ・三菱・いすゞ・スバルの8社の合計資産規模は世界一であり、さらに自動車部品メーカーの産業規模を加えると、日本のGDP全体においてかなりの部分を占めると説明。
「わが国の製造業を真に成長させたいのであれば、自動車工業の成長が必須。日本を打ち負かすことで初めて世界から認められるようになるのだ」と論じている。
2つ目は、工作機械や精密工業だ。
「日本の自動車工業を打ち負かすということは、その精密工業を打ち負かすことになる。
そのためには基礎工業の成長が必要であり、精密工業で絶えず進化していくことで初めて勝つことができる」とした。
3つ目には、アニメ産業を挙げている。
日本の名作アニメは枚挙に暇がなく派生商品を加えればその産業規模は莫大なものになると紹介。
「われわれも文化産業を強く大きくして、全世界にわれわれの価値観を輸出し、世界の人びとに理解し、受け入れてもらわなければならない」としている。
そして最後に、アダルト産業だ。
その発展ぶりは「われわれの想像を超えている」とし、テレビ放送にも成人チャンネルがあることなどを紹介。
ただ、この産業については「やはり日本に残しておいてやろう」とのことである。
江戸時代に戻るというのはあまりにもオーバーであるが、特に自動車や工作機械といった精密な機器が日本経済にとって非常に大きな柱となっていることの形容と考えれば納得がいくだろう。
ネットユーザーからは「他にもまだまだ倒さねばならぬ分野がたくさんある」、「わが国にもすでに強い産業が数多くある」など様々な感想が寄せられている。
中には「これらの産業を倒したとしても、日本人にはまだ創意と団体意識がある」と指摘する人も。 創意と団結力を失うことは、ある産業の優位性が崩れることよりもはるかに恐ろしいかもしれない。
▲補足、感想など
冒頭でふれた。
日本と中国との間には、100年間の技術格差がある。
そして、もう一つ大事なことは、20世紀半ばあたりに、産業革命組の技術に「追いつくことができるか/できないか」の時間的な「境界」があったということだ。
20世紀半ばに、自分で自動車を製造していた民族だけが、かろうじて追いつける—そういうタイミングがあったという。
日本は、なんとか辛うじて追いつくことができた—のだとか。
もはや、中国は、日本に追いつくことはできまい。
第一、中国人は今もって、まともなレシプロエンジンすら造ることができまい。
それで、どうして、日本の自動車産業を「うちのめす」ことができるのだ?
いくらリバースエンジニアリングをしたって、分からないものは分からない。
仮に、分解してそのまま真似すれば、日本車と同じように動くなら、もう、とっくの昔に、中国のメーカーだって、自社開発しているさ。
パクリだけでは、本物の技術にはならない。
他に精密工業とか工作機械もそうだ。
中国人には、技術というものに対する畏怖・畏敬の念があるまい。
地道さに耐える・数万回の繰り返しに耐えるということができまい。
例えば、マツダのスカイアクティブのようなディーゼルエンジンを改良するという「地道な繰り返し」ができまい。
そんなことで、日本人に対抗できるものか。
また、アニメについても、絵柄さえ日本のアニメを真似しても、人を引きつけるだけのストーリーが作れまい。
ストーリーの背後にある「巨大な混沌」というものが理解できまい。
アダルト産業がどうたらと、変な興味をもっているが、この産業が成り立つ歴史を知るまい。
日本の仏教界で、最初に妻帯肉喰をした親鸞聖人とその師である法然上人の会話をご紹介しようか。
--ここから--
法然上人⑬(71才、親鸞聖人に妻帯を勧める)
法然上人は生涯、結婚もなされず、清廉潔白で一生を全うされた方であった。
しかし、その法然上人が弟子親鸞聖人にだけは違っておられた。
法然上人71歳、親鸞聖人31歳のことである。
関白九条兼実公のたっての願いということで娘玉日姫を親鸞聖人に嫁がせたいとの申し出があった。
法然上人「唐突な話だがな、
そなた、結婚する気はないか」
親鸞聖人「は?!結婚?そ、それは・・・」
法然上人「今、関白殿がこられてな。そなたを是非、娘の婿に、と言われるのじゃ」
親鸞聖人「関白殿が・・・」
法然上人「娘御は、玉日と言われる方でなあ」
親鸞聖人「玉日様、ですか・・・」
法然上人「知っているのか」
親鸞聖人「はい。以前少し、お会いしたことが・・・」
法然上人「そうか。知っていたのか。
それなら、話は早い。どうかな」
親鸞聖人「はい。あの玉日様ならば。
しかし、お師匠様。
お師匠様や、門下の皆さんに、ご迷惑がかかるのでは・・・」
法然上人「ワシはかまわん。皆の事も、案ずることはなかろう。
そなたに、その覚悟さえあれば」
親鸞聖人「ならば、喜んで、お受け致します」
法然上人「よいか、親鸞。弥陀の本願には、
出家も、在家も、差別はないが、天台や真言などの、聖道自力の仏教で
は、肉食妻帯は、固く禁じられているのは、承知の通りじゃ。
は、肉食妻帯は、固く禁じられているのは、承知の通りじゃ。
彼らや、そして世間から、どんな非難攻撃の嵐が起きるか、
わからぬぞ」
わからぬぞ」
親鸞聖人「はい。それは、覚悟しております。
すべての人が、ありのままの姿で救われるのが、真実の仏法であること
を、分かっていただく御縁になれば。
を、分かっていただく御縁になれば。
親鸞、決して厭いは致しません」
法然上人「その覚悟、忘れるでないぞ」
親鸞聖人「はい」
--ここまで--
この法然上人と親鸞聖人の決心が、日本の仏教というものを一段たかみに登らせた—と筆者は信ずる。
--すべての人が、ありのままの姿で救われるのが、真実の仏法であることを、分かっていただく御縁になれば。親鸞、決して厭いは致しません--
ありのままの姿で救われる—という言葉に核心がある。
日本人は性欲を含めた本能の部分を肯定的にとらえようと—ここで切り替わったのだ。
このことが、その後、先の大戦において、戦場近くに「慰安所」を設置することを、日本の軍隊も許容するというか、黙認することになる。
そして、後年、日本にいるevenki族工作員達(朝日新聞等)によって、性奴隷がどうたらと捏造・ミスリードされて、日本人を卑しめ・日本人を叩く口実となったのは、日本人なら誰もが知っているとおりだ。
いや、話が本質論となった。
中国人には、上でふれたような「法然上人・親鸞聖人」の話など、チンプンカンブンだろう。
まぁ、非常識なコケオドシ中国人は、放置で。