▲要するに。
安部談話なるものが、朝鮮半島に向かって謝罪したものではない—と韓国人にも分かってきたのだろう。
で。
気に入らないというので、「無効化」を—か。
以下、韓国の新聞から抜粋。
安倍総理が14日発表した戦後70周年談話は所期の目的を達成したと見られる。
世論調査で安倍の安保法案や原発再稼働などについては反対世論が相変らず優勢だったが、安倍談話を'評価する'という反応(48%)が'そうは考えない'という回答(37%)を越えた。
読売新聞が実施した電話世論調査の結果だ。
先立って共同通信とフジニュースネットワーク(FNN)・産経新聞など他の調査も流れが似ている。
談話直後だけでも「こういう談話は出す必要がなかった」という安倍内閣支持者と反対者の両側どちらからも攻撃されたことに比べれば流れは変化した。
日本国内世論が変わったのは「次世代に謝罪の宿命を担わせてはいけない」という部分が肯定的に作用した。
さらに村山)、小泉等の内閣の反省と謝罪を継承したことが評価された。
過去型3人称表現で主体が不明で真正性がなかったという韓国を含む米国・中国など周辺国の評価と正反対に日本人たちは「この程度なら、よいのではないか」「未来世代まで過去の問題で謝る必要があるのか」という反応をした。
談話を契機に安倍内閣に対する支持率まで上昇曲線に乗るとすぐに高村正彦、自民党副総裁は「日本人たちが受け入れやすい談話であった」と自画自賛式の解釈まで出した。
安倍談話翌日の15日は私たちの光復70周年だった。
朴大統領は記念演説で「これから日本政府は歴代内閣の歴史認識を継承するという公言を一貫して誠意ある行動で後押しし、隣国と国際社会の信頼を得なければならないだろう」と明らかにした。
たとえ「残念な部分が少なくなかった」という前提があっても高い評価だった。
もちろんパク大統領の記念演説が両国関係を解くための未来指向的な'節制された反応'という評価もないではないが、安倍総理の退行的歴史認識を見守って失望した国民感情には届かなかった。
韓日外交問題を感情で解決するわけではないが、冷静な評価をすることを願ったのが私たち国民の率直な心境であっただろう。
問題は安倍談話以後だ。
結局、安倍総理が出した談話の骨子は植民支配と侵略の過去の歴史は覆って行こうということだ。
安倍談話の翌日15日、映画「暗殺」が1,000万観客を突破した。
よく作られた映画ではあるが、歴史的素材を扱った日帝侵略史を経験した世代の子孫がこの部分を忘れず、共感したという反証でもある。
このように韓日間には政府間だけでなく一般国民の間にも関係改善の障害物として作用する'歴史の正義'と'今日の現実'というジレンマが存在している。
このジレンマを解決する方法は二つの問題を同時に解決することだ。
総理談話ですら修正主義的歴史観を守った日本が真の謝罪とは異なるトラックで両国関係改善を進展させるべきという意味だ。
安倍談話とは別に韓中日3国の首脳が9月初め、中国の戦勝節を記念して会う公算が大きい。
韓中日首脳会議も年内再開の可能性が高まっている。
私たちだけ歴史問題に'オールイン'していては国益をのがしかねない。
そして日本の植民支配、侵略、軍慰安婦など歴史問題については忘れず、継続的に問題提起しなければならない。
安倍談話で再び絡まる韓日関係だが'原則'と'実利'の二つとも、逃すことができないのは明らかだ。
オン・ジョンフン論説委員
▲補足、感想など
なんのこっちゃい—という記事だな。
で。
結局、なにをどうする—ていっているのだ?
そもそも、と思う。
安部さんは、朴大統領と話し合う気なんぞ、さらさらない。
日本側が言う「ドアはいつでも開いている」なんて、単なる外交辞令だ。真に受けるなよ。
日中韓の首脳会議なんて、なんの話だ?
韓国は、もう、日本が見捨て縁切りした国家だ。
今年の早春、麻生副首相が、韓国との縁切り宣言をしていたろう。
あれが、聞こえなかったのか。
もう、日本にとって韓国とは、関わらない、助けない、教えない—どうでもいい国家だ。
また、2014年に日本の戦後レジームという「朝鮮系洗脳工作員達による日本人洗脳工作体制」は、完全崩壊した。
もう、日本人は、朝鮮系洗脳工作員達(朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、その他地方紙、nhk、tbs、フジテレビ、テレビ朝日、教育業界では、日教組を中心とする朝鮮系の教師達など)の言うことなど、まるっきり信じていない。
もう、二度とだまされない、ミスリードされないよ。
記事では、侵略がどうたら—書いてあるが、1945年まで朝鮮半島は、日本の領土だったのだ。
仮に、侵略がどうたら—で日本人が有罪なら、韓国人も旧日本人として同罪ではないか。
同罪の人間から、日本人が一方的になんたら言われる筋合いはない。
2014年に日本の戦後レジームが完全崩壊し、日本は「次なる150年」という新レジームを構築中だ。
19世紀後半の明治維新から150年という時間を経過することで、日本は、産業革命組の諸国に肩を並べることができた。
次なる150年とは、産業革命組の諸国を追い抜き、決定的な差を付けてやろう—という計画だ。
もう、日本には先達など誰もいない。
見本も手本もない、目標すらも定かではない—そんな不透明な世界を手探りで進もうとしているのだ。
先日の安部談話は、戦後レジームというものに今こそ決別し、「次なる150年」という日本の新レジームに突入するという「覚悟」を述べたものだ。
いま、日本の「戦後」は、完全に終焉した。
さらば、韓国。
さらば、日本にいる朝鮮系洗脳工作員達。
洗脳工作は楽しかったよ。