2015年8月30日日曜日

30年後が恐ろしいのは、韓国であろう。

いや、妙な表題となった。
 自国の子供達への教育は、その国の大人が責任を負うことであろう。

 30年後がどうたら言うなら、それは、日本でも韓国でも同じだ。
 韓国の子供達がどう育つかは、韓国の今の大人が責任を負うことであろう。

 日本の子供達の教育は、当然、日本の大人が責任を負うことであり、韓国からどうこう言われる筋合いはない。
 放っておいてもらおう。

 以下、韓国の新聞から抜粋。


 韓日の歴史教育の差、30年後が恐ろしい

 チャーチルの写真にソウル・光化門で会うとは思わなかった。
 シルクハットを手に、足を組んで座って葉巻をくわえている姿だ。
 隣にはルーズベルトが疲れた様子で座っている。
 社団法人ワールドピース自由連合が光復70年にあたり開催した写真展だ。

 今月はカイロ宣言・ヤルタ会談・ポツダム宣言など名を耳にする機会が多かった。
 忘れていた出来事を思い起こさせたのは、やはり「光復70年」だった。

 第二次世界大戦終戦を前に立役者はルーズベルトとチャーチル、そしてスターリンと蒋介石だった。彼らは各国・各都市を巡り、日独敗北に伴う戦利品を手にしようとそろばんをはじき、神経戦を展開した。
 こうした戦勝国の首脳たちの姿に、大韓民国臨時政府の要人たちの姿が重なる。

 太極旗の波と愛国歌の熱唱の中、光復70年の行事は終わった。
 私たちがしなければならないことがあるとしたら、光復が、どれだけ列強の利害が絡み、世界史的な出来事だったかに気付くことだろう。
 70年前の光復が今の力関係において韓国に与える教訓を読み取ることはできない。

 日本の植民地になり、解放と分断、南北に分かれての政府樹立、朝鮮戦争に至るまで、韓国近現代史のどれ一つ取っても国際勢力図の変化に対する理解なくしては説明できない。

 それにもかかわらず、外国の介入さえなければ韓国もうまいことやっていたはずだという「内在的発展論」を担ぎ出し、国外の歴史に目をつぶってきたというのが、これまでの韓国史研究や歴史教育の現実だった。

 今月初め、日本の文部省は高等学校で日本史と世界史を合わせた「歴史総合」という必修科目を新たに作るという教育課程改定案を発表。
 近現代の日本史と世界史を一つにして教えてこそ「現在進行の歴史」を理解する力が育ち、グローバル時代の変化に対応できるというのだ。

 一方、韓国教育部は今年5月、高校の韓国史教科書から世界史に関する部分を減らすという歴史教育課程改正案を発表。

 このため、「開港期の西欧列強の接近と朝鮮の対応」「日帝侵略に関連する国際情勢の変動と東アジアの変化」「解放期の建国努力と国際社会の動き」など、従来あった世界史関連項目も教科書から消えることになった。
 こうした内容なしに、韓国の近現代史が書けるのか疑問だ。

 現在、日本の歴史教科書は現政権による過去の美化、韓国の歴史教科書は左派自虐史観による韓国史卑下問題がある。

 世界へと向かう窓を子どもたちに対してどう開いてやるのかは、これとは別次元の重大な問題だ。 両国の世界史教育の差が30年後の光復100年にどのような結果をもたらすのか、考えるだけで恐ろしい。

 金泰翼(キム・テイク)論説委員


補足、感想など

 ふ~ん、一方的に日本を批判するという内容ではないのだな。
 なんだ、この変化は。

 2014年に、日本の戦後レジームが完全崩壊して、日本人が、日本にいる朝鮮系洗脳工作員達の洗脳工作、世論誘導工作にのらなくなったという現象を直視しての、韓国側の変化かもしれないな。

 そういえば、先日、ソウル市が捏造慰安婦への費用を2割削減すると発表したが、それと同根だろう。
 いくら、日本に関するアレコレを批判しても、日本人が韓国と結託している朝鮮系洗脳工作員達の洗脳・扇動にのらない—ということが分かって、あぁ、もう「タカリのネタ」にはならないな、と方針を転換したものだろう。

 ほう、衆愚政治社会でも、「費用対効果」には、シビアなのだな。
 日本から金がむしり取れないなら、金をかけても無駄—ということか。
 そうとなれば、慰安婦がどうたら—も無駄となれば、予算も5割減とかにすぐなりそうだな。

 それにしても、日本の「歴史の美化」ってなんのことだ。
 あの忌々しい「戦後レジーム」という「朝鮮系洗脳工作員による日本人洗脳工作体制」が完全崩壊したことで、戦後70年近く、朝鮮系洗脳工作員達にサンザン、撹乱させられた日本の明治維新以来の150年を見直そうという動きのことか。

 これは、別に韓国とか朝鮮半島に直接、関連したことではない。
 日本は、19世紀後半、英国の産業革命に約100年遅れて、明治維新というリセットを経て、出発した。

 以後、西欧化・近代化という名称で、産業革命組の諸国の背中を追い続けた150年であった。
 しかし、150年という期間を経てみると、もう、日本の前には産業革命組の諸国の背中さえ見えないところまで来ていたのだ。

 あれっ、いつの間にか、世界の最前線に来ていた。
 振り返れば、大航海時代の最中、秀吉あたりの16世紀後半から約500年という歳月を経て、日本が世界の最前線に復帰したと言ってよいであろう。

 明治維新以来150年ということを考えれば、明治維新時、あの伊藤博文が、大久保利通が、「願ってやまなかった」「欧米列強と肩を並べる」という元勲達の夢をかなえた瞬間でもある。

 これから、日本は「次なる150年」という新レジームに突入する。
 そこは、もう、見本も手本も、目標すらも分からない薄闇の世界だ。
 この不透明な世界を、自分の才覚と眼だけを頼りにして前進しなければならないのだ。

 だからこそ、明治維新以来の150年というものを、「突き放した目」で振り返る必要があるのだ。

 これが、日本の「歴史の美化」か。
 こんな表現をしているようならば、韓国人には、日本が今やろうしていることの本質が理解できまい。

 英国の産業革命に500年も遅れようという超ノロマ民族には、とても理解はできまい。