▲どこに、不快さを感ずるのかなぁ。
要するに、この人、「教養」というものの価値が理解できないのだろう。
そりゃ、確かに。
三角関数を知らなくても生きてはいける。
そんなことをいうなら、英語だって別に知らなくたって---。
でも、そんな生き方は、禽獣に近いだろう。
人間が人間らしく生きていくためには、幅広い知識が必用だ。
それが教養というものだ。
教養は確かに、それでメシが食えるというものではない。
でも。
人間を人間らしく振る舞わさせている。また、なにか、逆境にあった時、自分を内から支えてくれるものだ。
教養の価値すらも分からぬ人間が、知事なのか。
鹿児島県って、どういう県なんだ?
以下、新聞から抜粋。
鹿児島県の伊藤祐一郎知事が、県の総合教育会議で、女性の高校教育の
あり方について、「高校でサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」
「それよりもう少し社会の事象とか植物の花や草の名前を教えた方がいいのかなあ」と述べた。
知事は記者会見で「口が滑った。女性を
蔑視しようということではない」と発言を撤回。
総合教育会議での発言は、全国学力・学習状況調査の結果について、
知事の目標設定を問われた場面だったという。
知事は記者会見で「これまでの人生で、
サイン、コサインを1度しか使ったことがない」と釈明。
▲補足、感想など
ふん、ツマラン知事ではある。
もう、辞任したら?
アフガニスタンなどのイスラム圏では、勉強しようとする女子学生に酸をかけて、眼を潰してしまう—という事件が相次いでいる。
眼をつぶされ、盲目となっても、「こんなことにはへこたれない」--と発言した女子学生がいた。
そういう女子学生のことを思うと、この知事の発言など、無礼ではないのか。
多分、記事にあるように、「女性を蔑視」というものではあるまい。
それよりも、冒頭でふれた「教養の価値」というものが、根底的に理解できていない—ということだろうな。この伊藤さんという知事。
知識は力なのだ。
教養とは人間を人間らしく振る舞わせ、苦しい時に自分を内側から支えてくれる力だ。