▲このブログで何度もふれた。
安部談話というものは、日本の明治維新以来の150年を振り返って、概括的に総括し、村山談話、河野談話などのもつ「偏向」を、大局的に修正したものだ。
もう、日本の首相が二度となんとか談話なるものを出すことはない。
それは、2014年に日本の戦後レジームが完全崩壊し、日本人が日本にいる朝鮮系洗脳工作員達からの洗脳工作・世論誘導工作に騙されなくなったからだ。
戦後レジームの完全崩壊は、日本の戦後の終焉を意味し、また、日本人が戦後という軛(くびき)から脱却したことを意味している。
先日の「安部談話」というものは、日本の「次なる150年」という新レジーム開始のファンファーレのようなものと解釈するのが、最も妥当であろう。
明治維新以来の150年間というものは、安部さんが述べたように19世紀後半、英国の産業革命に100年も遅れたノロマ国=日本が、明治維新というリセットを経て、近代化・西欧化—という名称の産業革命組の諸国の背中を追い始め → やがて衝突・敗戦 →再び、先達の背中を追い続けた--そういう期間であった。
しかし、150年という歳月を経てみると、もう、日本には産業革命組諸国の背中さえ見えないところまできた。
いつの間にか、世界の最先端の場所に立っていたのだ。
こうして、日本は、「次なる150年」という新レジームに突入した。
もう、日本には先達というものはいない、見本も手本も目標すらも定かではない薄闇の世界にいるのだ。
自分の眼と才覚だけを頼りとして、未来を切り開いていかなければならないのだ。
以下、新聞から抜粋。
中国外務省によると、張外務次官は、安倍首相が発表した戦後70年談話の内容について、木寺昌人駐中国大使に「厳しい立場」を伝達。
これに合わせ華外務省副報道局長はコメントを出し、70年談話について「日本はあの軍国主義侵略戦争の性質と責任に対して明確な説明を行い、被害国国民に真摯なおわびをしなければならない」と批判。
「おわび」や「侵略」に直接言及していない談話の内容に不満を表明したものとみられる。
▲補足、感想など
だから。
安部談話は、明治維新以来の150年を概括的に振り返ったものだ。
そして、日本の「次なる150年」という新レジーム構築の「決意」を述べたに過ぎない。
日中間の戦時賠償問題は既に解決済みだ。
日本は、先の大戦について、中国に謝罪も賠償もする必要はない。
なんというかな。
日本は、「次なる150年」という世界へもう出発してしまったのだ。
中国という国は、産業革命に200年も遅れる超ノロマ国家だが、今度もどうやら、日本に大きく水を開けられて、「遅れ」をとるようだな。
まぁ、儒教という縛りがあって、後ろ頭に目玉がついている民族だ。
日本の「次なる150年への出発」というものも、見えはしないのだろうな。
可哀想な超ノロマ民族・超ノロマ国家=中国。