▲中国人のものの見方には、癖がある。
それは、19世紀半ば、欧米諸国からの黒船を見た時の反応に具現化されている。
日中の対比となったこの「対応の違い」が、英国の産業革命から100年遅れ(日本)、200年遅れ(中国)と100年もの「差」をつけた形となった。
この100年の「差」が、未だに中国人は、まともなレシプロエンジンも作れない—という現象をひきおこしているのだ。
たったこれだけのことで?
そう。
たったこれだけのことで、100年の差を生み出すのだ。
以下、新聞から抜粋。
日々技術革新やイノベーションが叫ばれている中国。
日本人が次々と繰り出すユニークな発明品にも興味津々。
中国・今日頭条は6月、「日本人が発明した『人間を怠惰にする神器』は、天がひっくり返るレベルだ」と記事を掲載。
日本では奇々怪々な発明品が出現し続けていると。
「日本人は『怠け学』における名人中の名人だ」とし、「人類を怠け者にさせかねない発明品」を紹介。
紹介されたのは、離れたところの物を取ることができる「マルチハンドキャッチャー」、ポテトチップスの筒に差し込むことで、中のチップスをスマートに引き出すことのできる器具、ちょっとしたものをすぐ洗える超小型洗濯機、外出中に休憩したいときに座ることのできる傘の4点。
いずれも「アイデア製品」、「便利グッズ」と言えそう。
中でもハンドキャッチャーと傘は「実用性がかなり高い」と評価。
近所のスーパーやショッピングセンターに行くと、「アイデア商品販売会」といった催事に遭遇する。
アイデア製品を眺めながら、「こんなものを思いつくなあ」と感心したり、それぞれの実用性を考えたりするのは面白い。
中国人観光客も、「アイデアの見本市」に遭遇すればきっと驚きを覚えることだろう。
▲補足、感想など
どこに核心があるのかなぁ。
中国人の例としては、やはり、三国志という面白いテーマを、中国人は殆ど活用できない—ということが指摘できよう。
単なる大掛かりな映画にした---というぐらいが精一杯なのだ。
マンガにする、アニメにする、女体化する、猫化する--てな発想が生まれない。
この頭の硬さってどこからくるんだ?
民族性というより、儒教あたりに遠因がありそうだな。
中国というあれだけの広さにおいても、殆ど、「民謡」の類がない—という。
労働から歌が生まれてこないのだろうか。
日本の民謡である草刈り歌—なんて、哀愁あふれるものだけどなぁ。
なにか、人間のもつ「創造性」を阻害するなにか—があるのだろうな。
また、そういう創造性を周りのものが評価できない—そういう特性をもっているのだな。
中国の文化大革命が終焉して、約40年か。
あの現代版焚書坑儒から半世紀近くの期間が経過した。
そろそろ、次なる知識人が出現してもいい頃だけどなぁ。
あの漢字ばかりの中国語では、日本の「文庫本」に相当するものは存在しえないのか。
いっそのこと、日本語のカタカナ、ひらがな—を取り入れ・使ってみたらどうさ。
日本語にあるかたかな、ひらかなを取り入れようぐらいの思い切った改革をしないと、記事でとりあげているような「新発想」は生まれてはこない。