▲中国人のものの見方には、癖がある。
どうしても他者に対して、上から目線でものを言わずにはおれないのだ。
韓国人に較べれば、ずっと賢いことは分かるが、尊大癖、中華思想から抜けだせないようだ。
それが、知的正直をバカにしたことになり、合理性・科学性を乏しくしている。
以下、新聞から抜粋。長文のため大幅にカットする。
2016年6月29日、第一財経網は「日本が20年を失ったと誰が言った?」とコラムを掲載。
日本経済は停滞に陥っているとはいえ、強大な製造業の実力は中国企業が学ぶべきもの。
不景気の中、今月、内閣府が発表した日本の第1四半期のGDPは0.5%増と良い数字だった。
日本はかつて経済発展を経験した。廃墟から急速に復興を果たし、1960年代末には世界第2の経済体になり、40年余り守り続けてきた。中国は2011年に日本を追い抜き、経済規模が日本の2倍に達しているが、アジアで成長を遂げたのは日本が先。
1950年-1973年の間、日本のGNPは年平均で10%以上成長し、投資も高い成長率を支えた。
日本は経済を発展させ、生産した製品のほとんどを海外に向けて販売。
日本人の勤勉さやプロ意識、官民の緊密な協力、匠の精神なども、経済復興の重要な要素となった。
しかし、1990年代から日本経済は「失われた20年」に突入。
日本企業の競争力も、自動車など伝統的な分野を除いて大きく下落していった。
世界の経済学者は、停滞が伸びるのか、「アベノミクス」が成功するかに注目。
実は、日本経済は決して「最悪」というものではなかった。特に、2012年と2013年の日本のGDP成長率はドイツを上回っている。
上海外国語大学の武教授は、「冷戦終結までは日本は温室の中の花だった。現在は室外に置かれ、正常な国と同じ環境の中にいる。なぜ駄目になったか。それは冷戦期に太り過ぎたから。
これは冷戦期の需要がもたらしたバブル。ために『正常に戻った20年』というべき」と指摘。
日本製と言えば、人々の頭に浮かぶのは「安心」「高級」という言葉だった。
今日、どんな企業でも十分な資金さえあれば機械、技術、原料を手に入れることができる。
ため、ソニーやパナソニック、シャープといった輝かしい実績を残したブランドが外国の同業者にシェアを奪われるようになった。
しかし、規模が小さく、知名度が低い日本企業は依然として市場の中で主導的な地位にいる。
日本の技術力を表している製品はコンデンサだ。
携帯電話1台に数百個、パソコンには1000個必要になるかも。
村田製作所はこのコンデンサの世界シェア40%を持っている。
ほかの企業も合わせると、日本のシェアは80%に上る。
また、パソコンのハードディスクに使用するモーターでは、日本電産がおよそ75%のシェアを、自動車の小型モーターではマブチモーターが90%のシェアを持っている。
アナリストであるモエル氏は、「日本製品は欠かすことができないもの」と語った。
経済産業省のデータによると、日本企業は30の技術分野で70%以上の世界シェアを有している。
今年3月に発表した競争力指数で、日本が中国、米国、ドイツに次ぐ4位に入った。
日本は積極的に、製造業において経済を立て直す方法を模索してきた。
注目すべきは、日本経済の特殊性。
それは、GDPがGNPを大きく下回っている。
2015年末の対外資産残高は前年比0.7%増の948兆7290億円で、7年連続で増加。
武教授は、「日本の海外資産残高は、日本経済のグローバル化が非常に高く、世界経済の中の重要な一部分を占めていることを表している」と。
日本の20年は、「正常な発展速度に戻った」と言った方が適切かもしれない。
改革が阻まれ、短期的には効果が見られなくても、技術革新を重視する姿勢、製造業の中で陰から発揮する力、海外資産残高の拡大など、
すべてが「日本経済は見えないところで相当な実力を蓄積している」ということを示している。
GDPは経済指標の一つ、技術や産業チェーンのコントロールも経済の実力を表す要素だ。
日本は依然として他国が尊重し、学ぶべき経済体である。
▲補足、感想など
まぁ、全体としておかしくはない。
でも、冒頭でふれたように、中国人のもつ尊大ぐせのために「合理性・科学性」が乏しいようだ。
まぁ、金盾アホの弱点が垣間見えるということかな。
日本人は基本、ウソをつかない。
そういう数字と、中国人の「どれほどの真実が含まれているやら分からない」数字と比較されてもなぁ。
説得力があるまい。
まぁ、威張りたければ、威張ればいい。
社会主義的資本主義なるコケオドシのようなシステムが、資本というかお金のもつ冷厳というか血も涙もない「合理性」の前に吹っ飛んでしまうのも、そう遠くはあるまい。
中国人のもつ尊大ぐせもハッタリも中華思想も、資本のもつ「合理性」の前には、形無しではある。