▲帰国子女の中学生が日本の教育制度を批判? している。
いや、言わんとすることが分からないわけではない。
筆者は団塊の世代だ。
我々の世代は、いわゆる「詰め込み教育」を受けてきた。
筆者は、今もって、詰込み教育こそが最良の教育制度だと信じている。
そういう人間からすると、この女子中学生の批判は、視点が偏っていると思える。
人として、学生として、研究者として、自立するというか、自分なりの視点をもつためには、PCとかなんとかシンキングを知っていればできるというものではない。
Pcは単なる道具に過ぎない。
それを使いこなすには、どうしても幅広い知識が必要なのだ。
言わば、ピラミットと同じだ。
広い知識に基づけば、安定した形の「知の四角錐」となる。
以下、新聞から抜粋。
小学生時代、生活にコンピュータが入ってきた
k氏は、小さいころ、アナログだった。
彼女が生まれたのは、1998年。
あのiMacが発売された年だった。
彼女の家にもiMacはあったが、小さいころは触らせてもらえなかった。
生活にコンピュータが入ってきたのは、k氏が小学校2年生のとき。父親の転勤で、海外に引っ越したこと。
アメリカのカリキュラムでは、タイピング、オンラインでの宿題があったため、両親が認めてくれたのだそう。
こうして、彼女の家でパソコンが解禁された。
k氏はアメリカで使用されている「Raz-Kids.com」を使い、英語の勉強を始めた。
Raz-Kids.comは、英語のナレーションに合わせて難しい本を読んでいくことで、英語の本が読めるようになるという教材だ。
友だちの間で、Webサイトを作るのが流行した。
好きな写真をアップし、自分だけのコンテンツを作ることに夢中になった。
そして、10歳の誕生日にiMacを、クリスマスにiPhoneをプレゼントしてくれた。
これらのプレゼントは、勉強や連絡ツールとしてだけでなく友だちとの遊びにも使われた。
小学6年生になると、ニューヨークの学校では、生徒全員にMacBook
Proが配られた。
生徒たちは、このときがくるのを楽しみにしている。
生徒1人1人にメールアドレスが割り当てられ、学校からの連絡や宿題は学校のWebサイトを通じて行われた。
質問があれば、メールで先生のサポートが受けられる。
また、校内にはテクノロジ専門のヘルプがあり、エラーやトラブルがあると相談に乗ってもらえた。
WiFiも完備されていた。
アメリカでは、ITはすべての授業で活用されている。
例えば、理科や社会の授業では、「iMovie」、potoshop」といったソフトを活用する。
また、ブリタニカの百科事典や有料資料も学校のアカウントを使いオンラインで利用でき、リサーチの役に立っている。
また、セキュリティ面の指導も充実している。
ITの導入には慎重な意見もあったが、「ITのリスクから逃げるのではなく、リスクに正面から向き合い対応する力を付ける」という発想の転換をしたのだと。
そんなとき、映画「ソーシャル・ネットワーク」と出会った。
彼女は、文字や記号の羅列が1つのプログラムとなり、数億人の人々を結び付けるパワーを持つことに感動した。そして、自分もやってみたいと。
それ以来、プログラミングの勉強をしたりするようになっだ。
日本に帰国した彼女は、日本の学校で、カルチャーショックを受けた。
ニューヨークでは、コンピュータは教育に不可欠なツールであった。
しかし、日本の学校では、勉強にコンピュータを用いることはなかった。
なぜなら、日本の勉強は記憶をすることに重点が置かれているから。
生徒は、先生が黒板に書いたことをノートに写し、それを暗記してテストする。
k氏は「一人一人のアイデアや創造性が無視されている」と。
小学生時代をアメリカの学校で過ごしたk氏は、クリエイティビティが無視された日本の教育を知り、違和感を覚えた。
アメリカでは、調査や考察、議論を行いながらプロジェクトを進めることが中心だった。
そのため、ITが生かされていた。
授業のスタイルも、生徒同士や先生と議論や協力しながら進むものだった。
いつも自分が主役であり、自分がやりたいことや知りたいことを勉強していた。
例えば、日本の学校では、黒板に先生が書いた解釈をノートに書き写し、テストのために暗記しているが、アメリカでは1人1人の文章の解釈や分析をクラウド上で共有し、お互いにフィードバックを行っている。
「違いの理由は、日本では関心が試験や大学受験に集中していることにあるからではないか。
大学入試がペーパーテストだけで行われるため、良い結果を出すためには紙と鉛筆で暗記や計算にあけくれるしかない。
日本の学校で創造力や表現力が後回しにされ、ITが教室で歓迎されないのにはこういった原因がある」とk氏。
一方、k氏は日本の教育の良いところも語っていた。
「日本の教育の良いところは、計算力が付くこと。アメリカでは電卓を使う。
また、文化祭など勉強以外の場で生徒が主体的にできるところは魅力。
アメリカでは先生が一番やる気があるため、先生が張り切ってやってしまって生徒があまり活躍できない。
日本の教育とアメリカで受けた教育を比べ、こうまとめた。
「計算力が付くと、テストの順位が上がる。
これは、測れる学力だ。しかし、発想の新しさやコミュケーション能力など、測れない学力もある。
日本の中高生も、社会に出て、世界の人と情報やアイデアを交換し合い、新しいものを作り出さなければならない。
そのときに、ITを使いこなせなくて、自立した大人になれるのだろうか?
ITは、アイデアを形にする道具である。
誰でも持っている『クリエイティブな発想や可能性』を広げてくれる、とてもためになるツールである。
しかし、日本の学校が暗記学習に力点を置いている限り、ITが教室に入り込む余地はない。
授業や試験の形そのものを改革しなければ意味がない。
テクノロジをツールとし、興味があることを勉強したり新しいことを作り出す教育が必要。
(k氏)
▲補足、感想など
記事を読むと、日本の教育は暗記に頼っている、アメリカはitを駆使している—という印象を与えられるのかなぁ。
でもなぁ、と思う。
冒頭でふれたように、筆者は「詰込み教育こそ、最高・最良の教育制度」だと信ずる。
k氏のいう、it
を駆使するという技術がそんなに難しいというか、習得の難しいものだとは思えない。
10代の半ばからボチボチやれば、充分間に合うものだと思う。
記事で取り上げているアメリカの教育のやり方のうち、斬新な発想やコミュニケーション能力というものが、日本の暗記中心の教育制度と真っ向から対峙するものとはとても思えない。
はっきり言えば。
斬新な発想とは、幅広いキチンと秩序だった知識に基づいた時、始めて価値あるものになるのだ。
いわば、コインの裏と表の違いを声高に語っているように筆者には聞こえる。
高みに登っていくためには、まず、安定するほどの幅広い知識が必要だ。
その幅広い知識の上に立っているからこそ、四角錐の先端を更に鋭く尖らすことができるのだ。