2013年3月18日月曜日

東アフリカ、ケニアで永楽通寶発見。


ある事実が見つかる。
 ここから、どう推論できるか—というのは、その人のもつ「教養」「基礎知識」のようなものが反映する。

 東アフリカ、ケニアで、中国15世紀くらいの通貨が発見された。
 それを発見者であるアメリカの大学の研究者は、東アフリカと中国との間で、通商関係があったのでは—と推論する。

 う~ん、でも、これは--
 この研究者はアラビアンナイトなるエロ本も読んだこともないのか。
 インド洋から中国にかけては、アラビア人、インド人が多くの商船を仕立てて、活躍した場所だ。
 中国の銅銭がアフリカの東海岸にあっても当たり前ではないのか。

 そんなことをいうなら、日本には古くから「ひょうたん」という植物があるが、ひょうたんの原産国はアフリカだ。日本では福井県の鳥浜貝塚から8500年前の物が発見されている。
 これは、アフリカと日本との間に「通商があった証拠」か。

 以下、新聞から抜粋。


 米中西部シカゴのフィールド博物館は、 同博物館と米イリノイ大などの研究者チームがこのほど、約600年前に鋳造された中国・明朝の銭貨「永楽通宝」をケニアのマンダ島で発掘したと発表した。

 永楽通宝は15世紀初めの明朝の永楽帝時代に鋳造された銭貨。
 室町時代の日本に大量輸入されていたことでも知られる。

 フィールド博物館によれば、今回発見された永楽通宝は1枚だが、欧州諸国が航海を通じて積極的に海外に進出した「大航海時代」よりも前に、中国と東アフリカ地域の間で交易が行われていた証拠とみられるという。


▲補足、感想など
 だから。
 明の時代(15世紀始め)に、鄭和という中国にいるアラビア商人の子孫が、大船団を率いてアラビア方面まで遠征している。
 ただ、鄭和の遠征は遠征でしかなく、その後、継続していた訳ではない。

 冒頭でふれたように、16世紀のポルトガルなどの西欧勢が東アジアにくるまでは、アラビア人、インド人などが貿易に活躍していたのだろう。

 中国の貨幣が一枚見つかったから、ということからの「推論」としてはその周辺の知識が乏しく、ちょっと暴論気味の推定ではある。
 米大学としては、ちょっと「軽率」では--と思える。