▲表題の言いは、正しく表現している。
そう、まったくそのとおりだ。
でも、だからなに?
恐らく、これの対局にある言葉が「能力主義」とかいう言葉なのだろう。
なにかカッコよく聞こえるのかもなぁ。
でも。
能力主義というのは、殺伐とした世界だ。
そりゃ、能力があればいいさ。しかし、この世の大部分の人間は、大した能力をもっている訳ではない。
時代劇でいえば、切られ役かその他大勢なのだ。
バブル崩壊後の十年間くらいかなぁ。
盛んに「能力主義」なる言葉が大手を振るって闊歩していた。
事実、「能力主義」なるやり方を社内にとりいれた会社もあった。
それで。その会社はどうなったか。
殆どの会社が見事に失敗した。
これはなぁ。
能力主義というのは狩猟民族の世界でなければ通用しない。日本のような農耕民族には向かないシステムなのだ。
能力主義というのは狩猟民族の世界でなければ通用しない。日本のような農耕民族には向かないシステムなのだ。
もっとはっきり言えば、日本人は「むき出しの競争心」に耐えられないのだ。
表題の言いのごとく、精神的にもろくてこわれやすくできているということだ。
だから、日本人には日本人にあったシステムがある。日本人の「生き方」に適合したシステムがある。
そういうシステムの中でなければ、「日本人はうまく働けないのだ」
以下、新聞から抜粋。
本書では、アンチ・フラジャイルになることが重要かが説かれている。
この世の中はリスクだらけである。
しかし、常にリスクを避けるように
生活していったら問題を生じる危険が待っている。
世界は雑菌だらけ、正常な人間が無菌室でずっとすごしたら免疫力を失ってしまう。
飛行機は多くの犠牲者を出してきたが、飛ばし続けたおかげでメリット
を享受できる。
子どもは軽微な怪我をしていくことでリスクについて学ぶ。
我々はある程度のリスクに直面することで、アンチ・フラジャイルになるよう学習していく。
これは日本人が教訓とすべきことだ。
タレブはこう書いている。
「アメリカの強みは、試行錯誤をし続ける能力である。対し、日本では失敗
することは恥とされるのでリスクを隠す。
そのため結果として時限
爆弾の上に座ることになる」
確かに日本社会はとても親切である。
目先のリスクや不便さや恥を取り除き、意識から外してくれる。
日本人は、通常の資本主義の国ではありえないような保護された社会で生活してきた。
これは心地よい世界である。
・多くの企業は従業員が可能な限り一生働けるように頑張ってくれる(逆に、アップル社で定年まで働けると思っている人はほとんどいない)
・苦境に陥った業界や企業は、政府が助けてくれ、負け組が作られないように
してくれる
・銀行が破たんしても、預金はほとんどの
場合に100%守られてきた。
そのため、我々は預金に対するリスクをほぼ意識しなくてすんでいる
・武力の行使は放棄しているので、戦争は起きないはず、である
・小中学校では飛び級も落第もなく全員が平等に進級する。
フランスでは15歳以下の4割が落第している)
若い人が海外に行きたがらないのももっともだ。
しかし、
これにより人々の牙を抜き、サバイバル能力を減衰させていることも事実だ。
「終身雇用」を信じて安穏とした日々を送っているサラリーマンは、いったんリストラを
宣告されたら路頭に迷うことになる。
会社が社員を守ろうとすることが、かえって社員の
リスク対応力を失わせているのだ。
タレブは、そういうサラリーマンが一番フラジャイルだという。
逆に、料理人や大工はアンチ・フラジャイルだという。
仕事は景気の変動によって影響を受けるので収入には波があるが、その
代わりサラリーマンのようにある日突然リストラに合うこともない。
タレブは「歴史とは予想を超えた大変革の集積である」と言う。
今の時代は過去のどの
時代よりも変動が激しい時代である。
この時代に「目先を穏便に過ごす」ことを重視する
日本の伝統につかっていたら、いずれ痛い目に合うことになるだろう。
アンチ・フラジャイル(壊れやすくない人間)を目指して、リスクを取りにいきたい
ものだ。
▲補足、感想など
なにか古くて新しいテーマではある。同じことが繰り返しでてくる。
日本人は、自分の「弱さ」を充分に知っているのだ。
だからこそ。
2年前の東日本大震災の当日、東京の都心部から自分の家までの数十キロを整然とかつ黙々と歩いたり、夜遅く電車でかえったりできるのだ。
記事にあるアップルだっけ、そこの社員が上の日本人のようなことができるか。
恐らく、札束を見せびらかせてタクシーを拾おうとしたり、電車に乗れないとわかると、怒鳴りまくったりするだろう。
核心はなにか。
それは「弱い」とか「脆い」ことは確かに弱点だが、そのことをよく知っていて、なんらかの形でそれを補おうとするのだ。日本人は。
大震災という混乱時には、努めて「冷静に行動する」「身近な人間と協力する」といことが、一番、適正な対応方法だと分かっているから、そう行動しているのだ。
ここの部分が、著者であるタレブとかいう人には分かっていないのだ。
要するに。
タレブという人は、人間って壊れやすい →だから、壊れにくい人間(精神的にも、肉体的にもタフな--という感じかな)になろう。
日本人は、人間はこわれやすい → だから、その弱点をよく知って、それを補う「対応方法」を考え身につけよう-- とする。
こういう違いだ。
タレブという人の発想は、なにか単純だし、また個人主義的(むしろ利己主義?)だといえる。
日本人からすれば、タレブさんのお好きに行動すればいいのでは—としか言いようがない。