▲プレステなどをやって、一時、ソニーの社長に—とかの噂のあった久夛良木(くたらぎ)さんがインタビューに答えている。
久夛良木さんの答えが、すべて的確に問題を指摘しているのかどうかは筆者には分からない。
筆者の感覚では、出井さんのあたりからソニーの方向がおかしくなった—という記憶がある。
出井さんは、文系の出身だったなぁ。
ソニーの社長が技術系 →文系になったと同時に、なにかソニーの商品から「驚き」のようなものが失われたと感じた。
「経営」というものと「商品からの驚き」というものが、両立するのかどうかは分からない。
でも、そのあたりが、表題のいいと密接に関連していると思わずにはおられない。
まず、久夛良木さんのインタビューを抜粋してみよう。
日本の電機産業の競争力が失われ、雇用不安が高まっている。
社会や文化に大きな変化をもたらすイノベーション(革新)を起こせなくなり、海外メーカーの攻勢に
押されたからだ。なぜそうなったのか、巻き返しの目はあるのか――。
世界を席巻したソニーのゲーム機プレイステーションの「生みの親」として知られる久多良木健氏に聞いた。
――日本の電機産業になぜイノベーションが起きにくくなったのでしょう。
「ソニーに入社して最初の10年間は、ホントに好きなことがやれた。
ブラウン管テレビ全盛の時代だったが、
平面テレビがやりたくて、当時は金(きん)より高かった液晶素材を買って小さな液晶テレビを試作した。これが入社1年目。そういうことを勝手にやらせてくれた。
そのあと世界最初の電子カメラの開発にかかわった。それが4年目だった」
――自由に研究できたのですね。
「もう毎日が楽しい。会社が大学の研究室の延長のような感じで。
風呂と着替えで家に帰るぐらいだった。ところが、ある日『おや』と思うことがあってね。それが入社して10年経ったころのことだった」
――いったい何が?
「新しいフロッピーの技術を考えて学会で発表し、他社に呼びかけて規格化しようとしたら、急に
『やめたら』と圧力がかかった。
聞けば、別チームが同じようなことに取り組んでいて大型商談中だった。
私がやっていたのは、それよりもっと先進的な技術で……」
「その後も、他社のゲーム機用にデジタル音源を開発していたら、またまた横やりが入った。
複数の部門から『敵に塩を送るとは何事か』と」
――社内で芽をつぶしてしまう?
「研究開発している人間は5年先、10年先を見ようとするものだが、会社は春モデルと秋モデルとか、
目先のことしか見ようとしない。
長期のロードマップ(工程表)を考えられる人、大きな流れを見通すことができる人が少ない。
そこがアップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏やアマゾン創業者のジェフ・ベゾス氏との大きな違いだ」
▲補足、感想など
久夛良木さんの言っていることが、正しいのかどうか—筆者には分からない。
筆者なりの意見を言わせてもらえば。
端的にいえば、ソニーは間口を広げすぎたということなのだろうなぁ。
こっちでテレビを作り、あっちでは映画を、そのまた向こうでは保険を—てな感じで。
これだけ間口を広げ、幅広ければ、全体を見渡せる能力をもつ人間がいる訳がない。
そのあたりだろうなぁ。
出井さん →ストリンガーさん と会社の中心となる方向性が「技術」というものから離れはじめた---。
また、組織が大きくなるにつれて、組織間の軋轢が強くなってくる。
久夛良木さんの不満も分からないではないが、ソニー全体をみたとき、当然そうなるだろうなぁ、と感じる。
さて、アップルの成功は、ipod
からであろう。
技術としてそれほど革新的なものではない。
フラッシメモリーをつかって、ソニーのウォークマンの紛(まが)い物を作ったということだと思う。
逆にいえば、ipod
など、ソニーが最初に出して当然の製品であったろう。
じゃ、なぜ、出せなかったのか?
この問いに対して、ソニーはどう答えるのか。
そこに、ソニーのもつ問題点があるのではないのか。