▲簡単に言えば、日米間で先の大戦の「戦後」が完全に終焉したことを確認しあったということを意味しているのだろう。
背後にあるのは、日本の戦後レジームが完全崩壊して、もう、日本人の弱体化計画工作から手を引くと決断したということでもある。(韓国も道連れにして)
ついでとはなんだけれど。
中国がことさら日本を「加害者」呼ばわりするのは、日本と中国との間では、戦時賠償問題が完全に解決しているからなのだな。
日本=加害者、中国=被害者 という形を強調しておかなければ、既に戦時賠償問題は完全に解決済みなのに、日本からなんやかや、むしり取るには都合が悪い—と言うことであろう。
以下、新聞から抜粋。
日本の周辺は腹黒い国家ばかりである。
中国はもとより、北朝鮮の核開発、ロシアの拡張主義も止まらない。
米国に望むのは、核削減といえども力の均衡を崩さないように減らすこと。
米国の「核の傘」に信頼がおけなくなれば、日本は核オプションを論議せざるをえなくなる。
私自身は演説に盛り込まれた言葉より、献花に訪れたオバマ氏の行動の方がより重要であると思う。
それはオバマ氏の外交遺産になり、日本を「米中共通の敵」とする江沢民元中国国家主席の外交遺産を打ち砕く一撃でもあった。
反日を体制維持に利用する中国指導部には、日本が被害者の立場になっては都合が悪い。
中国はいまも核の増強を続ける唯一の国であり、日本の「被害者イメージ」が高まると、日米分断の切り札にこの「加害者カード」が使えなくなる。
1989年の天安門事件で、共産主義イデオロギーのちょうらくに直面し、江主席が頼ったのがナショナリズムの高揚であった。
反日教育を現場に取り入れ、「日本軍国主義の足音がいまも聞こえる」と繰り返した。
以来、反日ナショナリズムは、共産党体制を維持する最強のイデオロギーになった。
江主席が97年訪米に際してハワイに立ち寄り、真珠湾記念館で献花したことである。
江主席はこのとき、「真珠湾の教訓を忘れるべきではない」として日本を「米中共通の敵」とする記憶を呼び起こした。
戦勝国は正義が邪悪に勝ったとの認識だから、その熱狂が人々を鼓舞するとの狙いである。
江主席が訪日したときの宮中晩餐会でも、過去ばかり語って日本国民のひんしゅくを買った。
以来、彼のいう「日本を戦争犯罪でたたき続けろ」との指示は、中国の外交遺産になった。
現在の習近平主席も、二言目には「歴史をかがみに」といって、贖罪意識の強い日本人を金縛りにする外交術は変わらない。
習氏は過去を語るが、オバマ氏は未来を語った。
米国はたたきのめした相手国にわびることはしないし、日本も謝罪を求めるような品位のないことはしない。
日米戦争は米国にとっての「義戦」であり、大量殺戮の現場を訪れることは難しかったのだ。
だからこそ、オバマ氏の広島訪問によって、日米同盟は感情のくびきから解放され、同盟関係は一段と強化されるのである。
(産経新聞特別記者 湯浅博)
▲補足、感想など
大筋ではおかしくないのかな。
いくつか反論を。
1.日本の周囲が腹黒い—とかだが、それが普通の国なのだ。
日本もそもそもは普通の国なのだが、なんせ、戦後すぐから2000年頃まで、米軍の工作でエベンキ族工作員達が新聞テレビ業界及び教育業界に跳梁跋扈して日本人の世論誘導をしていたものだから、奇妙なことになっていただけだ。
2.中国の反日政策のとっかかりは、アメリカの陰謀であろうと思える。
日本プラス中国という経済圏が形成され、共通の通貨(円)が使われることを想定したとき、アメリカはドルという基軸通貨を失う可能性があったのだ。
で、日本と中国を離反させろ—とアメリカのレーガン大統領の意を受けて、キッシンジャー博士が、江沢民主席を唆(そそのか)したものだろう。そして、それはまた、日本を(当然、中国をも)経済的に封じ込めるという一石二鳥の秘密工作だったのだ。
中国の反日政策は、中国国民のガス抜きという意味合いが強いが、同時に、そもそも日本と中国との間での戦時賠償問題は完全に解決済みであり、まともな形では日本から譲歩を引き出せない。
そこで、日本=加害者 中国=被害者 という捏造を強調して、日本からなんやかやとむしり取ることを企んだ—ということだ。
だから。
中国から加害者どうたら言われれば、日本と中国との間の「戦時賠償問題」は完全に解決済みだ、今更、日本はなにをする必要もない。謝罪?賠償?なんのことだ?—と反論し・それを繰り返せ。 南京大虐殺って、えっ、なにそれ、美味しいのか? と反論せよ。
それが、一番、中国には効果のある反論の仕方だ。
3.冒頭でふれたように、オバマさんの廣島訪問は、日米間で先の大戦の「戦後」が完全に終焉したことを確認したということだ。
戦後という軛(くびき)から、日米双方が脱したということだ。
日米同盟というより、日本と米国は、戦後が終焉して、日本は次なる150年に突入し、米国もどうようの次なるステージへと出発しようとしているのだ。
さぁ、ここで仕切りなおして、日米で協力してやろう—と言い合ったというぐらいに解釈すれば当たっているか。