▲1960年代半ばから1970年代半ばにかけての中国での「文化大革命」とは、20世紀における「焚書坑儒」であった。
荒涼たる荒野をさまよう未開な中国人が、相食む—そんな凄愴かつ政治的なイベントであった。
結果として、4500万人もの文化人・教師・職人などが殺害され、一部人肉食され、一部は畑の肥やしとなった。
また、古来の寺社・名刹も破壊しつされ、曜変天目などの国宝級の骨董品などもことごとくが破壊された。
要するに、1970年代半ばにおいて中国では「文化的な人・物」がことごとく殺され、破壊しつくされたのだ。
この後、1980年代始めに、トウ小平という人物が復活して、やっと「海外へ数十万人という単位の留学生」を送り出し、現在の中国の繁栄?の礎を築いたことになる。
この中国という国土でなされる「政治の振れ幅」の大きいこと。
数百年に一度、焚書坑儒ということがなされ、「歴史」も「文化」も破壊されつくして、その度に「サラ」の状態になるのだ。
中国人のいう5千年の歴史などというものは、単に「本で読んだ」だけなのだ。
連綿たる人の営みが続いているのではないのだ。なんどもぶつ切りとなっているのだ。
だからこそ、現在の中国人の行儀の悪さ、品行の悪さ—という形で、中国人内部の「歴史の無さ、野蛮さ」が、表面に現出するのだ。
以下、新聞から抜粋。
中国では文化大革命の狂乱のさなかに「人肉宴席」の犠牲となった人々がいた。
しかし、文革開始から50年を迎えた中国共産党は、当時の回想も、文革そのものや残虐行為についての歴史的評価も、隠そうと躍起になっている。
文化大革命は、大躍進政策で失敗し政敵打倒をもくろむ毛沢東の主導で
1966年に始まった。
全土で暴力・破壊行為が10年続き、党主導の階級闘争は社会的混乱へ変貌した。
まだ10代の紅衛兵たちは、「反革命的」だとして教師を撲殺。
家族間で非難の応酬が起き、各地で激しい
派閥争いも発生した。
だが、かつて毛沢東について「70%は正しく、30%は誤り」と評価した中国共産党は、文革の下で起きた出来事や責任の所在をめぐって議論することを認めてはいない。
文革時代の行為の一つに、中国南部の武宣県で起きた犠牲者の心臓や肝臓、性器が食べられた事件がある。
共産党が文革を宣言した1966年の「五一六通知」から50年が経過し、武宣県にはフローズンヨーグルトを売る店が立ち並び、川で男性たちが釣りを楽しんでいる。
地元住民の中には、政治的憎悪によって武宣県の路上を血に染めた数十件に上る食人行為について、
聞いたこともないと話す。
公式調査を行った主要メンバーの一人は、AFPの取材に応じ、武宣県では少なくとも38人が
食人の犠牲になったと。「全ての食人行為は、階級闘争があおられた結果起きたもので、憎悪の表現として行われた。
恐ろしく、獣にも劣る殺人だった」
■歴史に「意味はない」
「10年間の惨劇の中、広西チワン族自治区では無数の人々が命を落としたのみならず、残酷行為と悪意が
吹き荒れた」―調査団の元メンバーは、報告書草案にこう書いている。
AFPが確認した草案には
「首切りや殴打、生き埋め、石打ち、水責め、釜ゆで、集団虐殺、内臓の抜き出し、心臓や肝臓、性器の切り取り、肉のそぎ落とし、
ダイナマイトでの爆破など、あらゆる方法が使われた」と。
1968年には、中学校の生徒たちが地理の講師を殴り殺した後、遺体を川辺に運び、別の教師に強要して心臓と肝臓を取り出させる事件があった。学校に戻った生徒たちは臓器を焼いて食べたと。
現在、この中学校は移転し現役の
生徒たちに聞いても事件は知らないと首を振る。
地元住民らも、知らないと答えるか、口を閉ざすかのどちらかだ。
事件について議論することを望む一部の人々は、記憶が風化する中、町は過去から逃れることに必死だと話す。急激に発展する武宣県にとって、歴史は「何の意味も持たない」と。
■破られた沈黙と当局の抑圧
中国当局者の推計では最大15万人の犠牲者を出したとされる広西チワン族自治区での大虐殺のうわさは、その後15年にわたって中国全土でささやかれ、ついに当局が調査団を派遣するに至った。しかし、調査報告書が公表されることはなかった。
事件について知ったのは、ジャーナリストの鄭義氏が天安門事件後に資料を国外に持ち出し、
著作「Scarlet
Memorial(邦題:食人宴席)」を出版してからだ。
同書は中国本土では発行禁止とされている。
近年になって調査団の元高官も、中国国内での事件に関する認識を深めようと中国誌に調査結果に関する記事を寄せたが、
当局によってもみ消された。
この高官は、地元の元共産党幹部から「反党、反社会主義、反毛沢東主義」だと中央に告発され、
自己批判と誤りの修正、謝罪を要求されたとAFPに語った。
今、中国政府はメディアや世論の統制を強めている。「党の権威を確立するため、世論統制を行っているのは明白だ」。
文革開始50年の節目に、党の公式行事は予定されていない。
専門家は、当時の回想によって党の正当性が損なわれるのを恐れていると指摘する。
知識と議論に対する抑圧に、現在米国に居住する鄭氏は懸念を強めている。
「歴史分析を中国政府が容認しない現状では、
何らかの教訓を得たと言うことは不可能だ」と鄭氏はAFPに話した。
▲補足、感想など
中国共産党幹部達は、文化大革命も天安門事件も「ないもの」とするということか。
文化大革命は1970年代半ば、天安門事件は1980年代終わり頃だ。
記憶し、自ら経験した人間が一杯残っている状況では、なかなか「ないもの」にするのは難しかろう。
事実、中国で人肉食に参加したという中国人も日本に在住しているようだ。(島根県浜田市で発生した女子大生の殺人事件などをみていてそう思わないか)
まぁ、ついでに言えば、これは中国人の「弱点」なのだな。
日本人から中国人相手に「それ人肉食」「それ天安門事件」などと言うと、中国人はびびってしまう—ということか。
あのふんぞり返って偉そうにしゃべる中国人報道官とか王毅外相などに、おたくの国の「人肉食はどうした」「天安門事件はどうした」とか言えば、報道官も王毅外相も「顔色を変えて黙ってしまう」ということなのだな。
いや、いいことを聞いた。
それはそうとして。
この中国人の「振れ幅の大きさ」をみて、「文化の儚さ」というものを感じる。
日本という国は、古来、異民族の支配を受けたことのない国だ。
だからこそ。
日本各地での「祭り」「民謡」等というものが残っているということなのだな。
同様に、文楽とか漆器、様々な工芸品などが残っているということだ。
今の日本に例えば、中東などがからイスラム教徒が100万人くらい入ってきた場合を考えてもみよ。
たちまち、上の中国と同じ現象が生じてしまう。
イスラム教の教義に沿わないものは、破壊の対象となろう。
社会的な混乱は、民謡とか祭りなどを破壊しつくしてしまおう。
これから、ヨーロッパ諸国では、かっての「中国の文化大革命」に類似した「混乱」が発生しよう。
ドイツのメルケルさんの「軽率極まる判断」からもたらされる「厄災」がいかなるものか—中国の文化大革命を振り返れば予測できる。