▲野球の甲子園の試合で、誰を応援するか—という話と同じだろう。
自分の母校が出場すれば、母校を。そうでなければ地理的に近い高校を—てな感じであろう。
全仏オープンで錦織という日本の選手が出場しているのだが、試合場では白人に勝たせたい---という雰囲気が一杯なのだそうな。
で。
それを表題の如く、「アジア人への偏見」がどうたら---と。
馬鹿じゃないのか。
そんなものが偏見なものか。上で書いた甲子園での応援と同じだ。
日本で試合があれば、当然、日本人は錦織選手を応援するだろう。
じゃ。
これが、「白人に対する偏見」なのか?
これはなぁ、と思う。
こういう記事を書く記者の「視点が狂っているのだ」
どうせ、エベンキ族の工作員記者であろう。
こういう歪んだ視点しか持ち得ないから、ロクな記事が書けないのだ。
以下、新聞から抜粋。
錦織にとって、見えない敵がある。欧米の白人選手と対戦する時、アジア人の錦織には勝ってほしくないという会場の空気がある。
●キリオスがなぜ錦織との対戦では紳士なのか
今大会でニック・キリオスという選手がいる。錦織とはマイアミ・オープンの準決勝、マドリード・オープンの準々決勝で対戦しているから覚えている人も多いだろう。
193センチの長身から打ちおろすサーブを武器に持つ選手で、今年2月初優勝を果たした(マルセイユ)。
キリオスが話題になるのは、もっぱらコート上での行動や暴言。気性が荒く、試合中イライラすると審判と口論を始めたり、ラケットをへし折ったり、ペットボトルを投げつけたりと。
対戦相手に暴言を吐く。昨年、カナダで行われたカップでは対戦中のワウリンカに対し、「お前の彼女はオレの同僚と浮気しているぞ」と。
キリオスはATPから2万5000ドルの罰金を課された。キリオスの問題行動と暴言癖は収まらず、悪童とも問題児とも呼ばれる。
ところがキリオスは錦織と対戦する時は、紳士的にプレーする。それどころか、自分を負かした錦織を絶賛する。
「動きは俊敏だし、リターンなんかは本当にすごい」、「ケイは文句なしで完璧なテニスをした」というように。
キリオスはギリシャ系オーストラリア人の父とマレーシア人の母の間に生まれた。
体格や顔つきは欧州人そのものだが、肌は浅黒くアジア人の血が流れていることがわかる。
キリオスは「テニスは偏見まみれのスポーツだ」と語っているように、アジア人のハーフであることから偏見の目で見られた経験があるのだろう。
試合会場でも応援を受けるのは欧米人の対戦相手ばかり。それが苛立ちを生み、問題行動や暴言につながる。
キリオスから見れば錦織はアジア人にもかかわらず欧米の白人選手とも対等以上に戦っている。 シンパシーを感じるとともにリスペクトしているのだ。
●チャンやウィリアムス姉妹らも
苦しめた“空気”を跳ね返せ
テニスは白人優位の傾向が残るスポーツだ。白人以外の選手が活躍すると偏見の目で見られることがある。
よく語られるのが、マイケル・チャンだ。チャンコーチの両親は台湾からの移民だ。1989年の全仏オープンを史上最年少の17歳7ヵ月で制した選手だが、観客はアジア系の選手が勝つことを喜ばず、アンダーサーブなどの奇策を用いたことなどが非難の的になった。
31歳で引退した後は、多くの選手からコーチの依頼を受けたが断り続けた。偏見が存在するテニス界に愛想をつかしていたのだろう。錦織のコーチを受けたのは「同じアジアにルーツを持つ者として感じるものがあった」から。
このコメントにも偏見を受けた者の感情が垣間見られる。
姉妹でグランドスラムを22回制覇している黒人女子選手ビーナス・ウイリアムスとセレーナ・ウイリアムスは差別に苦しんだといわれるし、クルム伊達公子も深夜の抜き打ちドーピング検査など、欧米選手ではあり得ない扱いを受けたことがあるという。
格式を重視するスポーツだけに、あからさまな差別はあまりないようだ。
ジャッジもフェアだし、実力があれば白人でなくても勝てる。
錦織がアジア人に対する偏見を聞かれた時も「あるのかもしれないですが、自分はあまり感じたことはありません」と答えている。
4大大会では白人に勝たせたいという空気が会場にあることは確かだ。もちろん欧米のテニスファンにも錦織に偏見など持たず、プレーを素直に称賛し拍手を送る人はいる。
ただ、中継を見ていると、対戦する欧米の選手に送られる拍手の方が多いのだ。
錦織はアウェーでの戦いを続けていることになる。タフな大会、次から次への現れる強敵、そして会場に漂う見えない敵。
グランドスラム制覇という快挙を達成して、会場の空気を一変させてもらいたいものである。
▲補足、感想など
この文章。
偏見、偏見---と、うるさい記事ではある。
強ければ嫌がらせをされる—とでも思えばいいこと。
この文章、冒頭でふれたように日本にいるエベンキ族記者が書いたものだろう。
精神がもうひねくれて曲がっている。根性が歪んでいる。
これだけ、根性が歪むって一体なんだろうか。
記者個人を支える背骨となる「民族としての歴史とか伝統」とかいうものがないのだな。
対比するのもなんだが、戦後ブラジル等へ移民した日本人との違いをまざまざと感じる。
まず、最近のブラジルの日系人の扱いをみてみよう。
--ここから--
2014/08/03(日)
中南米歴訪中の安倍首相は、最後の訪問国ブラジルの首都ブラジリアで、国会議員や官公庁幹部の日系人と懇談し、他のブラジル人に比べて勤勉で責任感が強く「ジャポネス・ガランチード(保証付きの日本人)」
と呼ばれることに言及、活躍ぶりをたたえた。
安倍首相は懇談で「皆さんはブラジル社会の安定に貢献されている。私も日本の安定に力を尽くしていきたい」
などと語りかけた。
これに対し、空軍トップの日系2世ジュンイチ・サイトウ司令官や2世のジュンジ・アベ下
院議員らが感謝の意を伝えた。
首相は同日、ブラジリアの日系団体幹部ら約200人とも懇談を行い、それぞれと握手。
あいさつで、来年の
両国外交関係樹立120周年に向け、関係強化を図る意欲を示すとともに、日系社会に対し一層の協力を求めた。
--ここまで--
戦後、ブラジルへ移民した日本人達は、現地の人間からすれば貧相で醜いアジア人—という認識であったろう。
そういう視線の中で、日本人は黙々と密林の木を切り倒し、畑を作って野菜等を育て、売り始めたのだ。
現地人からの冷たい視線の中で、日本人が矜持を失わず、頑張れたのはなぜなのだろう。
それが、オレ達は二千年近い日本文化の継承者であり、体現者なのだ—という誇りであろう。
翻って、上のエベンキ族記者の「ヒネクレ根性」は、日本人のような「誇り」がないためだろう。
すぐに、僻んで僻んで、根性曲がりとなるのは---。
最後にこのブラジル移民の日本からの視点も見てみよう。
--ここから--
2013年9月7日
当時ブラジルは移民を募集してた
一方、日本は労働力過剰で内政問題を抱えてた
移民政策は日伯の利害が合致してとられた政策
日本が大変な時に日本を見捨てた奴らの子孫ではないよ
日本は失業者対策で大変だったんだから
見捨てたとするなら、それは日本政府の方だよな。
戦前は、半ば奴隷同然の立場(ハワイ、米西海岸)で送り出し、戦後は、美辞麗句で募集してジャングルや塩砂漠に裸一貫で送り込み放置した。
文字通りの棄民政策。
本当は国家レベルの恥なんだが、生き残った移民たちの死に物狂いの努力により、一定の評価を得てしまった…
--ここまで--
ブラジル移民の人の話を聞くと、昭和30年台半ばから、日本は高度成長を始めた。
この日本の高度成長が、ブラジルへの移民の人達の「信用up」にも繋がったのだとか。