2016年5月12日木曜日

フィリピンの大統領選出。

アセアンの諸国でも、なかなかこれっといった人材を輩出しえない。
 なぜなのだろう。

 国の指導者のレベルというものは、その国民のレベルに相当したものでしかありえない—ということか。
 国民のレベルからかけ離れた人間を、国民が選出する訳もないか。

 なるほど。
 お隣のエベンキ族の国家だって、上から下まで皆アホという衆愚政治国家だものなぁ。<まぁ、賢いなんてことがなんの意味もない国とでも言えば当たっているか>

 いや、インドネシアのちょいとのワイロですぐ転ぶ大統領を見、今度はフィリピンでヤクザ顔負けの大統領を見ていると、発展しない国家には発展しない充分な理由があるのだな、とつくづく感じた。

 以下、新聞から抜粋。

 フィリピンでもトランプ現象か。
 6年に一度のフィリピン大統領選挙で南部ミンダナオ島の都市ダバオの市長、 ロドリゴ・ドゥテルテ氏の当選が確実になった。
 「犯罪者は殺す」といった発言の連発で、 米大統領選を席巻するドナルド・トランプ氏に例えられる。

 現職のベニグノ・アキノ大統領の下で「東南アジアの奇跡」と称された経済発展を維持できるかどうかは、不透明だ。
 「フィリピンのトランプ」と呼ばれる前は「ダーティーハリー」がニックネームだった。
 1988年にダバオ市長に就任して、徹底した犯罪対策を推し進めてきた。

 自前の「処刑団」を組織し、超法規的に殺害した人数は1000人を超す説もある。
 悪を力でねじ伏せる米映画の主人公にだぶらせるフィリピン有権者も多かっただろう。

 父親をマルコス独裁政権下で暗殺されたアキノ大統領は「独裁者を復活させてはならない」と警鐘を鳴らしていたが、本人は意に介さない。
 候補者による討論会でも「大統領になっても法の範囲内で犯罪者を殺害していく」と吠えた。
 人権意識には疑問符がつく。レイプ事件の被害者をからかうような発言で物議を醸した。

 米国やオーストラリアから抗議されたが、「黙れ。大統領になったら関係を断ち切ってもいい」と断交までちらつかせた。 強面ぶりは内外を問わない。

 ドゥテルテ氏が柔軟な態度をみせている相手が中国だ。
 「私の祖父は中国人。だから中国とは戦争しない」「中国がテーブルについてくれたら話し合いをする」。

 中国とは南シナ海で領有権問題を抱えているにもかかわらず、対話重視をにじませ、外交でも親米路線のアキノ政権とは一線を画す。
 「ドゥテルテ大統領」が実際に親中へ傾斜すれば、アジア地域のパワーバランスが変化する可能性もある。

 もっともトランプ氏が共和党候補の指名を確実にしてから口を慎んでいるように、「ドゥテルテ大統領」が現実路線に転じるシナリオも否定できない。
 ミンダナオ島はイスラム過激派の最前線で、外資には近寄り難かったが、金、銅、ニッケルなど天然資源の豊富な土地だ。 人口も2000万人。
 和平への道のりとともに日本などからの資金も流入してきた。

 経済政策については多くを語ってこなかったが、国民生活の安定に有力国からの支援が欠かせないことは身に染みてわかっているだろう。
 フィリピンでは二大政党制は確立していない。大統領選びは人物本位だ。

 最大の武器は知名度。ドゥテルテ氏は人気投票を過激な物言いで制した。
 6年後の次期大統領選挙までアキノ時代の繁栄を懐かしむ声を封じるにはパフォーマンスだけでは不十分だ。

補足、感想など

 フィリピンが中国寄りか。
 日本も余程、用心しなければなるまい。
 投資も慎重にならざるをえまい。

 まぁ、比較するのもなんだけれど、暗黒大陸といわれたアフリカでは1960年代に植民地から続々と独立した。
 以来、約半世紀以上が経過した。
 このところ、アフリカ諸国の中でいくつかが明るさが見えるようだ。

 翻って東南アジアはどうだろうか。
 米ソ対立が解決したのが、1990年頃か。
 すると、それから20数年が経過したぐらいか。

 ふ~ん。
 アフリカの諸国と比較すると、東南アジア諸国のtake off のスピードが早いのだな。
 おそらく、東アジアには、日本がいるからか。
 日本がそれなりに援助とか投資を継続してきたからだな。

 上で、アセアン諸国では、人材がなかなか出てこない—とか書いた。
 でも、アフリカ、南米国諸国と比較してみれば、東南アジア諸国の発展のスピードが倍ぐらい早い。

 日本の次なる150年という新レジームを考えたとき、「共に生きる」という国々の中心は、これらアセアンの諸国なのだ。

 日本だってそうだ。
 産業革命に100年遅れて、産業革命組=先行組に追いつくのに150年近い時間を要した。

 インドネシア、フィリピンという国々も、アフリカ・南アメリカの諸国よりも発展のスピードが倍近く早い。
 数十年というスパンで考えれば、その内に、まともな人材を輩出しうるのかもしれない。

 数年前か。
 日本は、上でふれたような部分も含めて、インド プラス アセアン プラス オーストラリア アメリカという諸国と「共に生きる」ということに「賭けた」のだったな。

 この賭けがどうでるか---神のみぞ知るか。