▲いや、仰々しい表題となった。
でも、先日のアルファ碁によって、世界最強の中国の棋士が三連敗したことは、それだけ衝撃的なことだったのだ。
これからは、もう、人間もかなわない機械(人工知能)というものと関わりつづけなければならないのだ。
それを直視すべきだろう。
人工知能にもうかなわない—という世界最先端の箇所が、「碁」と「将棋」だと考えると、では、碁、将棋の棋士たちは、どう対応しているのか---ということが気になるであろう。
そのあたりが、記事となっていた。
以下、新聞から抜粋。
(AI)の登場は囲碁・将棋外に衝撃を与えた。
今、棋界では共存を模索する働きも始まっている。
「これはAIの最新手だ」 「展闘次第では損じゃないのか?」。
中国棋院の棋士室に碁盤がずらりと並ぶ。
国家代表チーム所属の10~20代の精鋭たちが議論していた。
「AIは従来と異なる発想をもたらした。すべてが手本になるとは限らないが、熱心に取り入れる棋士ほど強くなっている」。
代表コーチで元世界王者の兪斌九段(50)は指摘。
AIを参考にした新手競争も巻き起こる。
流行の布石は米グーグルの「アルファ碁」や中国Iテンセントの「絶芸」などが編み出したものがほとんど。
AIがトッププロらを相手にインターネット対局などで打った棋譜を入手できなければ、たちどころに流行形に疎くなるという情報格差も生じる。
「これほど早く三々に打つのか」。
アルファ碁が得意とする手の一つが 「三々」だ。
囲碁は陣取り合戦。
隅から縦横いずれも3つ目の地点を指す三々に打つ手は手堅く陣地を築ける。
序盤早々の三々を過去に試みたプロもいた。だが、局面全体には勢力が伸ばしにくく、姿を消した。
プロの研究でマイナス評価が定まった布石は淘汰され、近年では10~20手口まで全く同じ経過をたどる対局も少なくなかった。
しかし、人問が切り捨てた戦術がAIに 「発掘」され再び脚光を浴びる。
中国の棋士、丙○九段(53)は「峺直化した囲碁の水平線が再び開けた」と話す。
一足先にソフトが人間をしのぐ実力を備えた将棋界。
悪手とされた手や悪形とみられた陣形も先入観なく再検討され始めた。
羽生善治王座(王位・棋聖、46)も「ソフトは人間の思考の盲点や死角をあぶりだし、提示してくれる」と認める。
最新ソフトの研究で昔から口にされてきた格言も過去のものになりつつある。
例えば「桂の高跳び歩のえじき」。
後ろに行けない桂馬を早い段階で跳ねることを戒める。
だが、ソフトは桂馬を取られても相手の陣形を崩せれば局面によっては有利だと判断する。
この結果、桂馬を早々に跳ねる手を採り入れるプロが増えている。
最年少棋士の藤井聡太四段(14)は羽生王座に挑んだ非公式戦で、駒組みが進む段階の27手目に☗4五桂と跳ね出した。
桂馬は格言通り相手の歩に攻められて駒損になったが、他の駒の働きの差で優勢を築き、勝ち切った。
藤井四段は「プロ人り前の昨夏からソフトを使い始め、実力が飛躍的に伸びた」と明かす。
ではAIに死角はないのか。
アルファ碁などは 「僅差でも勝てば良い」と判断し、勝率の高い手を重視するあまり、優勢になるとリスクの高い手は最善手であっても選ばなくなる。
「冒険はせず、安定したりードを守る傾向がある」と、囲碁AIに詳しい大橋拓文六段 (33)は言う。
分析ツール研究
勝率が最も高い手を探る膨大な計算量を人間が読み解くのは容易でない。
そこでブラックボックスのようなAIの思考を明らかにする試みも始まった。
アルファ碁を開発した米グーグル傘下の英ディープマインドは、三番勝負で敗れた中国の柯潔九段(19)と組んで分析ツールを研究する。
AIの思考をわかりやすく示すことは研究や教育に役立つと期待される。
こうした機能を備えたAIは、相手の石を仕留める「詰め碁」の分野ですでに登場。
ネット対局場を運営するパンダネットのAI「パンダ先生」は誤った解答を入力すると、相手の応手を表示して、なぜ問違ったかを瞬時に分析して示す。
六冠をもつ井山裕太王座(28)に勝った日本製AI「DeepZenGo(ディープゼンゴ)」は、国際棋戦に挑む棋士を集めた日本ナショナルチームの強化に活用されることが決まった。
AIはライバルでなく仲間というとらえ方は広がる。
強い棋士ほど「さらに強くなりたい」 「神髄を究めたい」との願望は強い。
井山王座が「わかったような顔をして打っているが、まったくわかっていない」と話すほど、盤上に広い世界かあることをAIは示した。
人知を超えた思考をいかに取り入れ、「究極の一手」を創り上げるか。
棋士の苦闘に終わりはない。
▲補足、感想など
「人知を超えた存在」というものができて、改めて「広い世界」があることが分かったということか。
井山王座をして「わかったような顔をして打っているが、まったくわかっていない」と言わしめる世界がそこに広がっていたということか。
怖くもあり、楽しみでもある—そういう世界が広がっているということだな。