▲なんというか。
ツラツラ隣国中国を眺めていると、結論から言えば「中国って、漢字に圧し潰された民族であり、国家」なのだなと。
魯迅のいう---。
「漢字に対して、「漢字が滅びなければ、中国が必ず滅びる」と断言し、以下のように述べている。
この四角い字(漢字)の弊害を伴った遺産のお陰で、我々の最大多数の人々は、すでに幾千年も文盲として殉難し、中国もこんなザマとなって、ほかの国ではすでに人工雨さえ作っているという時代に、我々はまだ雨乞いのため蛇を拝んだり、神迎えをしたりしている。もし我々がまだ生きていくつもりならば、私は、漢字に我々の犠牲になって貰う外はないと思う。」
漢字という伝達手段は、本来的に不完全性を有している。
中国の現在でもぜいぜい、識字率が30~40%程度であろう。<日本語の「かな」のようなものがない限り、この辺りが限界なのだろう>
考えてもみよ。小学一年生から、あの漢字に取り組むのだぞ。文字を読むことを放棄する人間も一杯いるだろう。
だから。
20世紀半ばでは、精々、識字率は1桁台だったのだ。
20世紀半ばでは、精々、識字率は1桁台だったのだ。
つまり、殆どの中国人って、無学文盲・無知蒙昧な人間ばかりだったのだ。
これで、学問が、科学が、技術が発達する訳もあるまい。
だから。
英国の産業革命に200年も遅れ、先の大戦時においては、自国を守る武器すらも製造できなかったのだ。
だから。
英国の産業革命に200年も遅れ、先の大戦時においては、自国を守る武器すらも製造できなかったのだ。
そして、これだけ正視すらもできないような惨めな歴史、すかすかの中身の無い文化を恥じる余りに、返って他者に対しハッタリ、コケオドシ、捏造を繰り返すのだ。
今の習近平国家主席だって、同じだ。
正視するに耐えないような惨めな歴史・中身もないスカスカの文化を恥じる余りに、他者へ向かって捏造・ハッタリ・コケオドシを繰り返す。それがメンツとか中華思想だと外見的に見えるだけだ。
ところが。
経済とか、金融というものは、そんな人間の捏造・ハッタリ・コケオドシと無縁に冷酷に機能する。
中国の今の苦しみというものは、「捏造・はったり・コケオドシ」と「冷酷に機能する現実」という2つの現象のギャップにあるのではあるまいか。
以下、新聞から抜粋。
世界の工場として、メーカーが進出していた中国だが、近年は人件費の高騰などで、中国から工場を東南アジアなどに移転する動きが進んだ。
外資メーカーの工場は中国にとって雇用の受け皿となってきたため、撤退は雇用の喪失につながると懸念が高まる。
中国メディアは、中国から外資企業が相次いで撤退していることについて、「中国で失業の嵐がかつてないほど吹き荒れている」と伝え、長期的に見れば外資の撤退は中国にとって悪いことではないと主張する記事を掲載。
記事は、日本企業が相次いで撤退したり、欧米のメーカーが中国国内の工場を閉鎖したりする動きが見られ、中国国内では外資撤退に対して懸念が高まっていると指摘。
さらに、中国経済の成長率が鈍化し、中小企業が不景気に喘ぐなか、外資撤退は確かに中国経済にマイナスの影響を及ぼし、税収の伸びが鈍化しているのに、外資が撤退すれば地方政府の税収はさらに減少することになる。
一方で、外資撤退は必ずしも悪いことばかりではないとし、各メーカーは今後、中国で製品を販売するため輸送費をかけて中国に製品を持ち込まねばならず、コスト競争で不利になるため中国国内における中国製品の競争力が相対的に向上すると指摘。
また、外資企業で働いていた優秀な人材が中国企業に流れ、中国企業の経営力も向上することになると主張。
また、外資が中国から撤退するのは、中国の人件費や物価、不動産価格の高騰や環境汚染といった問題が背後にあるのは事実であり、外資撤退は中国政府に対策を取るよう促すことにもつながると。
中国が今後、ハイテク企業を誘致するためには、投資環境をめぐる諸問題を解決する必要があると指摘し、外資撤退は現在の中国に「失業の嵐」という問題をもたらしているが、長期的に見ればメリットも多いと指摘している。
▲補足、感想など
なにか、魯迅の阿Q正伝の阿Qが思いつきそうな理屈ではある。
人食い中国人特有の考え方で、合理性がどこかでふっとび、情緒というか感情がどうしても入ってしまう。
結果として、不合理なところへ誘導されてしまう。
中国経済の行き詰まりの核心部分を三橋さんが指摘している。
--ここから--
GDP(国内総生産)とは面白い指標で、支出面(=需要)で見ると、国内の消費と投資、そして純輸出(=輸出から輸入を引いたもの)の合計になっている。
ポイントは「投資」である。
設備投資とは、市場の需要に対し、生産が追い付かない場合に実施する。
モノやサービスの生産能力を高め、市場への供給量を増やすのだ。
あるいは、住宅投資は、もちろん「居住する」という便益を得るために実施される。
無論、別の誰かに賃貸しても構わないが、いずれにせよ誰かの居住を前提としている。
ところが、設備投資にせよ、住宅投資にせよ、市場や顧客、居住者が存在しなかったとしても、とにかく投資すれば「GDP」は増えるのだ。
すなわち、経済が成長する。
稼働しない工場、誰も住まない住宅に投資しても、GDP成長は実現する。
納得がいかないかもしれないが、そういう統計なのである。
お分かりだろう。
目の前の経済成長「のみ」を追い求め、過剰な設備投資、過剰な住宅投資を継続し、見た目のGDP成長率をかさ上げすることを続けてきたのが、現在の中華人民共和国なのだ。
特に問題なのは、全土に鬼城(=ゴーストタウン)を生み出した住宅投資よりも、むしろ設備投資の方である。
中国は、需要と無関係に設備投資により供給能力をかさ上げし、多くの産業が完全にデフレギャップ(需要過小)に陥った。
例えば、中国の自動車の生産能力は過剰投資により5000万台に達したが、国内需要は2500万台に過ぎない。
生産能力が、需要の2倍に達しているのだ。
あるいは、中国の粗鋼生産能力は8億トンにまで拡大しているが、国内需要は4億トンに過ぎない。
すなわち、4億トンの粗鋼が「余る」ことになるわけだが、この量は日本の年間粗鋼生産量(約1億トン)の4倍だ。
現在の中国経済は、過剰投資によるデフレギャップという重い問題を抱えている。
3月の全国人民代表大会(全人代=国会)で、李克強首相は「生産過剰の問題を解消していく。
鉄鋼、石炭などの業種は、新規参入を食い止め、淘汰(とうた)を推進する。
そして『僵屍企業』(=いわゆる、ゾンビ企業)を積極的に処理していく」と、発言した。
問題認識は正しいが、生産能力の「淘汰」は容易ではない。
生産能力の淘汰とは、要するにリストラクチャリングだ。
現在の中国は、雇用問題などを発火点に、年間数万~20万件の暴動(中国は群体性事件と呼ぶ)が起きている状況だ。
共産党が本格的なリストラに乗り出せば、さらなる大暴動が頻発する事態に至る。社会が維持できまい。
諸悪の根源が「過剰投資」である以上、中国経済はすでに「詰んでいる」のだ。
(経済評論家・三橋貴明)
--ここまで--
つまり、ハッタリ・コケオドシ>>>現実に必要な設備 という形になっていて、背後のそれぞれ労働者がいるものだから、潰せないということだ。
これに対して習近平国家主席は、有効な手が打てないのだ。
麻生さんが、中国人は「夢のようなことを言っている」とかコメントしていたが、そのあたりだろう。