2015年4月1日水曜日

韓国は、日本が見捨て・縁切りした国家だ。その7。

その7まできたか。
 こりゃ、その20、その30にもなりそうだな。

 今月末、安倍さんが米国議会で演説する。その演説にあれやこれやと韓国が言っているようだ。
 日本の首相が演説するのだ。韓国は関係あるまい。

 こうしてみると、韓国人って火病持ちというかキジルシに近い人間ばかりだな。
 余程、近親相姦のようなもので、dnaレベルで混乱しているようだ。
 民族的疾患と言ってよかろう。

 このブログで何度もふれた。
 今年の早春、麻生副首相が悪鬼羅刹のようなものいいで、韓国との縁切りを宣言をした。
 もう、日本が関わらない、助けない、教えない、どうでもいい国・韓国だ。

 また、韓国人からなにを言われようと、日本人は知ったことではない—と態度をとり続けるよ。
 叩きたけば叩け、罵りたけば罵れ。
 日本人が完全に韓国人を無視する。

 以下、新聞から抜粋。

 リー・クワンユー元首相の国葬ため訪問した朴大統 領が、現場で安倍総理に会った。
 短いミーティングで両国首脳は韓・中・日3国首脳会談と核兵器開発反対などの懸案につい て話あった。
 しかし、実現するには先に解決しなければならない課題がある。
 そ れは過去の歴史に対する反省だ。

 歴史を反省しない日本のせいで各種懸案にブレーキがかかっ ている。
 韓国と中国政府が「安倍政権の過去の歴史反省なしに関係改善はない」方針 としているためだ。

 3国は世界総生産の4分の1以上を占める程、経済的地位が高くなったが、安倍政権スタート以後、首脳会談をしたこと がない。

 日本が過去の歴史に発言をしていないわけではない。
 1984年の外交 文書によれば全斗煥大統領が日本を訪問した時、ヒロヒト日王が「今世紀 のある時期に両国間に不幸な歴史があったことを心より残念だと考える」と。

 1993年には河野官房長官が慰安婦の存在と強圧性について公式に認めて謝罪の意 向を明らかにした。
 1995年には村山富市総理が敗戦50周年をむかえて侵略を 認める談話文を発表した。

 安倍総理も立場の変化を見せている。ワシントンポストとのイン タビューで日本軍慰安婦を「人身売買の犠牲者」と表現して「胸が痛む」と話した。
 安倍総理は'21世紀構想懇談会'を作って第二次世界大戦終戦70周年を記念する談 話文作成に突入した。

 特に第二次世界大戦の象徴といえるヒロヒト日王の発言と安倍総理の発言では責任を回避したまま、やむ を得ずという点が強調される。

 安倍総理は429日、米国上下院合同演説をする。
 第二次世界大戦終戦70周年を記念する意味で演説すること になったという。

 この席で安倍総理は米国と日本の同盟、アジアと太平洋の平和繁栄など多様な 主題を話すものと見られる。
 しかし、やはり最も関心を引くのは過去の歴史に対する言及だ。
 日本は過去の歴史 言及に真正性を見せるべきだ。
 今度こそ談話を越えて行動でも反省する意志を現わさなければな らないだろう。
 過去はもちろん、東北アジアに山積した問題を解決する日本に与えられた最後の 機会だ。


補足、感想など

 笑うなぁ。
 本当に笑ってしまう。

 2014年に日本の戦後レジームは完全崩壊してしまった。
 日本人は、もう日本にいる朝鮮系洗脳工作員達の妄言、洗脳工作・世論誘導工作には絶対に踊らされない。

 今、日本の新聞放送業界、教育業界にいる朝鮮系洗脳工作員達への日本人からの攻撃が激しくなって、朝鮮系の工作員が排除・放逐されつつある。

 次々と、テレビにでて偉そうにしゃべっていたコメンテーターが排除されつつあるだろう。
 あれは、番組のスポンサーへ日本人視聴者から抗議の電凸が襲い、朝鮮系のテレビ局でもかばいきれなくなるためだ。

 戦後レジームが完全崩壊すると、日本は「千里の荒野に放たれた虎」に変身した。
 虎に変身した日本を見て、アメリカも「虎となった」ことを認めざるをえなくなったのだ。

 同時に、日本は明治維新以来約150年という歳月を経て、伊藤・大久保等が願った「欧米列強と肩を並べる」という夢を、事実上かなえた。

 そんなことで、今月末の米議会での演説は、虎に変身した日本が、ペリー提督以来の日米関係をなぞり、虎として今後150年の日米関係の未来を語ることになろう。

 なにが、先の大戦がどうたら---だ。
 馬鹿馬鹿しい。
 虎となった日本にとって、英国の産業革命に500年も遅れようという超ノロマ民族のことなぞ、どうでもいいし、話題にする価値もない。

 150年前の明治維新の時、日本は英国の産業革命に100年遅れのノロマな民族であり、主たる産業もない脆弱な農業国であった。
 以来、約150年という時間は、産業革命組である欧米諸国の背中を見ながら追いかけ続けた期間であった。

 こうして、欧米列強に肩を並べたことは、もう、産業革命組という100年先行組の背中が視野の中になくなる—ということである。

 日本にはもう追いかけるべき先行者の背中はないのだ。
 これからの150年という期間は、日本人という民族が自分の眼と自分に与えられた能力のみを頼りにして切り開いていくということだ。

 この明治維新から150年という期間、先行組の欧米諸国から、ノロマな日本人に対して寛容なる精神で、多くのことを教えて頂いた。

 安倍さんには、100年先行組への感謝と、これから自分の力だけが頼りの150年の開始に際して日本人なりの「決意」「覚悟」をのべて頂きたい。