▲昔、こんな職業をしていました—というだけでお金が貰えるのか?
私は昔、八百屋をやっていました。スーパーマーケットが近所にできて、潰れてしまいましたがねぇ。--と昔、やっていた職業の話しをしたから、どうだというのだ?
以下、新聞から抜粋。
「私がこうして生きているのに慰安婦の証拠がないなんて」
「私たちはまだ開放されていない」
元慰安婦のキム・ボクトンさん、スピーチ
「私がこうして生きているのに慰安婦の証拠がないなんて」
「本人が証拠として生きているのに証拠がないなんて、あんまりじゃないか。
日本の植民地から解放されたというが、私たちはまだ解放されていない」
参議院議員会館講堂で「日本軍慰安婦問題解決のためのシンポ
ジウム」が開かれた。
日本の聴衆300人の前で
元慰安婦のキム・ボクトンさん(89)がマイクを握った。
キムさんは15歳の時に慰安婦として
連行され、中国の広東省・香港・シンガポールなどで従軍慰安婦をしていた経験を証言、
「一日でも早く安倍が歴史認識を正し、一日でも早く私たちのことを私たちが
死ぬ前に解決してくれればどれだけいいか」と訴えた。
前日、安倍首相はインドネシアの
ジャカルタで開かれたバンドン会議で、植民地支配と侵略に対する
謝罪を外した演説を行った。
キムさんは安倍首相の訪米を前に、米政府高官が安倍首相の歴史認識を
認めたかのような姿勢を見せていることについて、「米国が安倍をかばうということは想像も
できない。
親しければ親しいほど、友人が悪いことをした時は肩を持つのではなく『過ちを
正せ』と教えなければならない」と言った。
このシンポジウムは日本の団体「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」と「日本の戦争責任資料センター」が、日本政府に慰安婦問題の解決を促すため開催。
キムさんのほか、
在日韓国人2世の梁澄子日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表、
尹美香韓国挺身隊問題対策協議会常任代表、和田春樹東京大学名誉教授らが
出席。
主催側は、日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議で決定された
「軍慰安婦問題と関連した事実認定」や「謝罪の証拠としての被害者に対する賠償」などを
骨子とする解決策を日本政府が一日も早く履行するよう求め、「戦後70年の今年、被害者に
安息と平和を与える道は日本政府と安倍首相にかかっている」と。
東京=ヤン・ジへ特派員
▲補足、感想など
冒頭でふれた。
私は、昔、土方をやっていました—と自己紹介したら、それがどうだ--というのだ。
自分の昔の職業をしゃべっただけではないか。
記事では、「16歳で連行」となっているが、16歳の時、親から民間の女衒業者へ高額の前払い金と引き換えに売り飛ばされた—ということであろう。
以後、この女衒業者に雇われたまま、大陸を日本軍の進行にあわせて、南下したということであろう。
当然、お客の大半は、日本軍兵士であったろうが、それは「売春」という仕事の性質上、需要のある場所へ売春婦という供給をつれていく-ということで、当然のことであろう。
いかな高額の前払金であっても、どこかで払い終える。
そこから先は、自分の収入となった筈だから、相当な貯金もできたろう。
昭和19年頃であれば、売春婦は普通の職業ではないか。
だから、冒頭でふれた。
私は昔、こんな職業でした—と自己紹介をして、で、それがなに?
日本が謝罪するとか賠償するとか—一体なんのこと?
なんの関係もない話ではないか。
ましてや、1945年までの日本と韓国の間でのいざこざ一切合切が、1965年の日韓基本条約で完全に解決済だ。
日本はこの元慰安婦達からなにを言われても、「すべて解決済み」と繰り返すだけだ。
謝罪もお詫びも、賠償もなにもする必要すらない。