▲福沢諭吉が、朝鮮人を見捨てたのには理由がある。
----福沢諭吉が最初朝鮮の独立を願って留学生とか支援してたけど、あまりの国や上層部の腐敗具合に呆れてきって『直ぐに人のせいにするし、反省をしない。日本とは思想的にも文化的にあまりに異なるからもう何も期待しない方がいい。』って見限ったのは事実---
まぁ、以下、韓国の新聞から抜粋。
福沢諭吉は1885年3月、日刊紙「時事新報」に「脱亜論」と呼ばれる論説を発表。
「我が国は隣国の開明を待ち、共にアジアを興す余裕はない。
むしろ、西洋の文明国と進退を共にし、支那・朝鮮だからといって特別の待遇をする必要はない。
我は心においてアジア東方の悪友を謝絶するものである」。
金玉均ら朝鮮の開化派を支援していた福沢は、クーデター「甲申政変」が失敗すると、朝鮮を消した。
回顧録には、朝鮮開化派と交流したことが書かれていない。
「アジアの悪友」を謝絶しようとする動きは、後継者によって体系的に進められた。
日本の学者たちは「中国と韓国は足踏みしてきた」と主張、その違いを強調した。
日本が西欧化を急速に進める中、中国と朝鮮はさらに遠ざかっていった。
20世紀前半の日本帝国主義による侵略の過程ではやむを得ないこととされた。
日本は今も、前世紀に自国が韓国と中国に与えた破壊的な結果について言及していない。
靖国神社を訪れた時、付設の「遊就館」で軍国主義を美化する映像を流しながらも、被害者だった韓国と中国に対し全く配慮がないことだった。
呉市の「呉市海事歴史科学館」を見学した時も同じだった。
東アジアを廃虚にした戦争について、それが不可避だったことや旧日本海軍の武功を誇るだけで、近隣諸国に及ぼした被害には何の認識もなかった。
今や東アジアは福沢が「脱亜論」を発表した時代とは変わった。
韓国と中国は日本に劣らない「開明」を遂げた。
日本と共にアジアを興すのに十分な力を持っている。
福沢がもし現代によみがえったら、おそらく「脱亜論」を撤回することだろう。
それでも日本はまだ韓国を「悪友」とでも思っているかのように行動している。
安倍首相は、「韓国は重要な隣国だが、さまざまな問題を抱えている」と述べた。
しかし、日本が韓国を「重要な隣国」を越え「良き友」と考えることを望んでいる。
著述家の半藤一利氏は「日本人は今、かつて朝鮮人や中国人に与えた痛みをあまり感じていないようだが、人間は歴史を背負って生きていく。自然なつき合いのためにも、知っておくべきことはある」と言った。
安倍首相と日本国民もこの思慮深い知識人の声に耳を傾けてくれたらと思う。
世論読者部=李先敏(イ・ソンミン)部長
▲補足、感想など
なんだろうなぁ、この気持悪さは。
韓国人特有のなにか、ねちっこい、劣等感の塊のような、上目遣いの、日本人を騙してやろう—という下心一杯の文章ではある。
いや、今の時代に福沢が再生しても、韓国人と関わろうとはしないよ。
韓国人の気持ち悪さの一端を示す記事があった。それをご紹介したい。
--ここから--
(評論家・黄 文雄 月刊正論11月号)
裏切りと不信の国民性
韓国の李大統領の竹島上陸と天皇に対する非常識な発言に、日本人が怒り、抗議の声が広がっている。
嫌韓感情の高まりというよりも、「この国はだめだ」という諦感が定着し始めている。
戦後、日韓基本条約を結んだにも拘らず、歴代の韓国大統領は日本に対し「謝罪と反省」を執拗に求め続けてきた。
一方の日本がいくらそれに応じて謝罪を行事化し、韓国の反日感情は収まらない。
李明博大統領の代になって、「韓日の過去」のいざこざに終わりを明言し、日本もこれで両国関係は正常化に向かうと期待していた。
だが、李明博の8月以降の豹変ぶりと異常な言動に日本人は愕然とし、「また裏切られた」という念が強い。
李明博大統領の異常な言動を巡り、私が連想するのは、フランス神父ダレが著した『朝鮮事情』の中の記述である。
ダレは、「五十人による陰謀は、たいていその共同謀議者の四十九人から暴かれる」という、朝鮮人の「不信と裏切り」の国民性を描いている。
朝鮮史上二回にわたる「胡乱」は有名である。
満蒙八旗軍と戦って敗れた朝鮮は、「迎恩門」や「慕華館」、「頌徳碑」まで作らされる屈辱を受けた。
しかしこれは、元をたどれば後金国の2代目ハーン・フォンタイジの、朝鮮から受けたいじめと裏切りに対する復仇であった。
「胡乱」は朝鮮人が持つ裏切りと不信の国民性を象徴する歴史事件と読むべきだ。
戦後、半島の北も南も、漢字を全廃し、ハングルのみ国字にしたのは、民族を育てていくのに必要不可欠なことだった。
当時、中国でさえ簡体字化、将来のラテン文字化を目指していた。
魯迅までが、「漢字滅ぼせずんば中国滅ぶ」と遺言をのこしている。
交信メディアの転換は、人類史上よく見られることだ。
だが、結果としては、漢字廃止後の「ハングル世代」と呼ばれる世代は真の国史を知ることができなくなり、「捏造」「創作」の国史しか知らないという状況を生み出した。
「韓国半万年史」の中で、高句麗史、渤海史以外には、真実の記述が乏しく、人物としては朴正煕しかいないというのが、中立な私の眼から見た韓国である。
「日帝36年」は超安定社会
李大統領の「もし天皇が訪韓したいならば、殺された独立運動者に謝罪を」という旨の発言は、韓国なら通用するかも知れないが、外国では品格まで疑わせるものだ。
ソウル・オリンピックの時から韓国は「天皇訪韓」を日本の「義務」であるかのように要請しつづけてきたが、逆に日本から求めたことは1度もない。
また、「殺された独立運動者」というが、法によって刑罰に処された者よりも内ゲバで殺された者のほうが多かった。
反日、抗日、建国運動の指導者として活躍していた呂運享、宋鎮禹、金九らは、いったい誰に殺されたのだろうか。
独立運動家はほとんどが同志や政敵に暗殺されたのではないだろうか。
戦後、韓国は「日帝三十六年の七奪」(主権、国王、土地、姓氏、生命、国語、資源の七つを奪った)をはじめ、強制連行やら従軍慰安婦を反日、克日のお題目として唱え、国造りのテコにしてきた。
竹島は戦後李承晩ライン以後に韓国の領土とされたものである。
国民国家の時代以来、いかなる民族も国家も強国、大国志向である。
福沢諭吉の「脱亜論」の数年後に刊行された樽井藤吉の「大東合邦論」は日韓清とも「同文同種同俗同州」のアイデンティティの下で違和感はないと主張していた。
日韓合邦も双方に賛否両論ある中で実現したものであり、一方的な強制だったとするのは言いがかりだ。
日韓合邦は「東亜の永久平和」への礎としてむしろ列強がそろって賛同し、利害関係の強い清露さえ異議を唱えなかった。
また実際にも、戦後韓国が主張するような「七奪」どころか、人口も食糧も倍増し、主権も拡大、史実としては「七恩」あるいは「七布施」と称するべきものだった。
戦後の李承晩大統領以降、次代の大統領が先代を粛清することはすでに韓国政治の掟となり、宿命ともいえる。
しかしそれは戦後から始まったことではない。李王一族をはじめ両班に至るまで繰り広げられる朋党間の争いは朝鮮名物のようなもので、宿痾だった。
李朝500余年にかぎらず、内ゲバが半島史の宿命だった。
ではなぜ「日帝」の時代が半島史上未曾有の超安定社会となったのか。その理由はただ一つ、
朋党間の争いが半島から排除され、場外乱闘に変わったからだった。
それが戦後になってまた再燃しただけのことである。
ハングル世代は近現代史を語るのに際し、その掟から知るべきだ…。
--ここまで--
ちょいと長いが、50人中49人が裏切る民族—か。
今年の早春、日本の麻生副首相が、悪鬼羅刹のようなものいいで、韓国との縁切り宣言をした。
韓国は日本にとって、関わらない、助けない、教えない—どうでもいい国だ。
日米という世界の二強から見捨てられるとこうなる—という見本の国家、韓国だ。