▲ふん、と思う。
そりゃ、確かに太平洋戦争では負けた。
しかし、負けたから、日本に過ちがあったという言い方には承服できない。
なにか、死の行進がどうたら—なんぞ、お互いさまであろう。
日本は、もはや、千里の荒野に放たれた虎だ。
アメリカ人のしょうもないいいがかりなど、しったことではない。
以下、新聞から抜粋。
安倍首相が4、5月の大型連休中の訪米で検討している米議会演説について、
第2次大戦に従軍した米退役軍人らの団体が上下両院に書簡を送り、
戦時中の日本の過ちを安倍氏が明確に認めることを演説の条件とするよう要求した。
演説が実現しても、内容次第で米世論の厳しい批判にさらされる可能性が出てきた。
議会筋が17日、明らかにした。
書簡を送ったのは日本軍のフィリピン侵攻作戦で投降した米兵や
遺族で組織する「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」。
多くの米兵が虐待や過酷な環境下で連行され収容所に着くまでに死亡したため
「バターン死の行進」と呼ばれている。
▲補足、感想など
日本は19世紀後半、英国の産業革命に約100年遅れで、明治維新というリセットを経て、西洋化・富国強兵に邁進した。
20世紀に入り、日本の遅ればせながらの「帝国主義」という名称の、領土拡張策の下で大陸へ進出し、中国大陸の中で、100年先行組との軋轢が激しくなってきた。
こうして1930年代から、泥沼化して、100年先行組と戦争となったものだ。
英米とガチの争いとなったのだが、100年遅れというハンデは、技術革新の遅れ、富の蓄積の小ささ—というところで、100年先行組と「差」があり、惨敗した。
しかし、これはイエローとして、100年遅れのノロマ民族として、100年先行組へ「意地と誇り」を見せつけなければ、前に進めない状況であったのだ。
戦争は善悪ではない。
どうしても、我慢ができなくて、殴りかかるものだ--。
一寸の虫にも、五分の魂—という諺があるだろう。
イエローであろうと、100年遅れのノロマ民族であろうとも「五分の魂」ってヤツをもっているのだ。
いま、戦後70年という歳月を経て、日本は、「千里の荒野に放たれた虎」となった。
また、同時に戦後レジームも完全崩壊した。
アメリカ軍人のしょうもない「グダグタ」など、放置しておけ。
日本は、別にアメリカと争う気はない。
しかし、いつまでの70年前の戦争のゴタゴタを引きずる気はない。
未来へ向かって、先の大戦の経験を踏まえて、アメリカとの良好な関係を築いていこう。