▲この夏の安倍談話の公表、4月のアメリカ議会での演説に向けて、着々と準備が進んでいるようだ。
2014年の戦後レジームの完全崩壊で、日本は野に放たれた虎に変身した。
で。
4月のアメリカの議会でも、今夏の安倍談話の公表でも、「千里の荒野に放たれた虎」の代表として、演説し、談話を公表することになる。
そのためには、村山談話、河野談話は「障害」であった。
こうして、安倍談話・村山談話—を事実上、意味のないものとして、日本の新レジームを構築しつつある。
まず、村山談話の継承を否定した記事から抜粋。
政府は、1995年の村山富市首相の談話が言及した「植民地支配」や「侵略」の定義について「様々な議論があり答えることは困難だ」とする答弁書を閣議決定。
歴史認識に関しては「歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる」とした。
▲補足、感想など
日本の新レジームの構築を急いている中で、朝鮮系の工作員が盛んに日本を卑しめてやろう—と策動している。
日本人の名前を騙った、工作員が日本の特攻隊を卑しめようとしている。
ふん、朝鮮系の工作員のうす汚い精神で、日本の神風特攻隊のことにふれるな。
寄るな、さわるな。あっちへ行け。しっ、しっ。
--ここから--
第2次大戦末期の自爆攻撃「神風特攻隊」が今注目されるワケ
若者たちにとって「日本が強かった時代」の象徴
第2次大戦末期、旧日本軍が行った自爆攻撃「神風特攻隊」。
戦闘機「零戦」が、日本の大衆文化
のサブカルチャーのアイテムとなっている。
1970年代にジャングルで発見された零戦を日本の企業者
が購入し、現地で6年間保管した後、昨年日本に持ち込んだ。
「日本人の零戦、再び日本の空へ」と銘打ったイベントは1018人が参加し、2344万円を寄付した。
このブームの背景には、映画『永遠の0』がある。
この映画は日本アカデミー賞の作品賞など8部門を総なめにした。
原作で百田氏は、一人一人の日本兵がどれだけ
純粋な心をもって戦ったのかということを強調した。
特攻隊員たちは「笑みを浮かべ」米軍の艦艇に向かって
突撃した。
そこに侵略戦争
に対する反省はない。
神風特攻隊研究者である米国ウィスコンシン大学の大貫恵美子教授は、「危険な現象だ」と指摘。
「百田氏は美しくなかった現実を、美しかったものであるかのように描写した。神風特攻隊は敗戦が確実な状況で意味のない任務を強要したものだ。生存者たちは『まるで犬みたいな待遇だった』と証言した。そんなことに
金を出した人たちが、戦争の歴史を知っているのか疑問だ」
大貫氏は10年以上にわたり、特攻隊員の日記や手紙などを分析し、遺族に対するインタビューを行った。その多くの人たちが名門大学の出身
だった。
心の中では軍国主義を批判していたが、なすすべのない状況の中で召集された。
京都大出身の林市造も、降伏の4カ月前に戦死した。すでに父親を亡くしていた林市造は特攻隊員として出撃する前、母親に宛てて
「悲しいときは泣いてください」という手紙を書いた。
特攻隊員たちの多くは、天皇のために出撃したわけではなかった。「出口が見えないのなら死んでしまおう」と、諦めを背景に死を覚悟
したのだった。
心の奥底では「一体何のために死ぬのか」いう苦悩があった。
そんな神風特攻隊がなぜ今注目されているのか。
大貫教授は「日本の多くの国民が自信や理想を失ったことに原因がある」と指摘した。
「日本社会は豊かだが、エネルギーがない。何か価値を追求しようという理想はない。長期間の不況
によって自信も失った。
生きる目標を失った若者たちにとって零戦は『日本が強かった時代』の象徴であり、神風特攻隊は『個人の枠を越え、
もっと大きな何かを追い求めた人たち』の象徴のように感じられる。
このような象徴が存在するのは危険だ。
『犠牲になることは美しい』と主張し、
その裏で敵を悪魔のように見なし、弱者を抑圧するからだ」
日本社会にはこのような批判に共感する人たちが多い。
宮崎駿監督も2013年、零戦を開発した
堀越二郎の青春時代を描いた『風立ちぬ』を制作した。
宮崎監督は日本の敗戦や主人公の悔恨まで描いている。
宮崎監督は「百田氏は神話をでっち上げている」と主張した。
東京=
金秀恵(キム・スヘ)特派員
--ここまで--
ケッ、この韓国人と、日本人の名前を騙った朝鮮系の工作員め。
恥を知れ。
いや、かっとなって、興奮を収めるまで時間がかかった。
金✕をぬかれた事大主義の人間から、日本の神風特攻隊のことをアレコレ言われたくはない。
そもそも、「金✕を抜かれた人間に語る資格もあるまい」。
じゃあ、と思う。
産業革命に500年も遅れる超ノロマ民族、儒教というまっくらな深い深い穴の底に落ち込んでどうしても脱出できない朝鮮民族に、なにか価値を追求しようとする理想があるのか、生きる目標があるのか?
日本人の名前を騙って日本人を批判している「文」は、そのまま、韓国人への批判ではないか。
韓国はもう経済破綻までまっしぐらであろう。
日米という世界の強国から見捨てられ、中国から属国あつかいされて、仮に経済破綻すれば、もう、なにもかも中国に奪われてしまおう。
そんな状況の中で、韓国人と在米の工作員が結託して、不毛な批判を日本へぶっつけてくる。
これは一体なんなんだ。
苦しくて苦しくて、キチガイのように喚(わめ)きちらしている—ということか。
要するに、「火病」であろう。
もう、火病専門の病院へいったらどうさ。