▲中国人の英国の産業革命に200年も遅れるっていうのは伊達ではないなぁ。
なにか、世界を俯瞰する—という眼が曇っているのだろう。
第一と思う。
産業革命に200年も遅れては、もう、まともなガソリンエンジンすら作れまい。
そりゃ、日本の車を買って、エンジンを分解してみたら、あぁ、こんな部品か—と分かる。
それぞれの部品を真似して作って組み立ててみれば—同じように動くだろう—とか思っていないか中国人は。
あぁ、高速鉄道でこれをやったか。
形状だけを真似しても同じようには動かない。
部品ごとに、様々なノウハウが詰め込められているのだ。
このあたりの感覚が、中国人を産業革命から200年も遅らせたのだろうな。
いや、中国人には、筆者がなにを言っているのか分かるまい。
「米国警察」はすでに世界を憂慮させる存在だが、そのそばに虎の威を借りる日本憲兵が現れたことは、頭の痛いことだと新華国際が伝えた。
日本と米国は18年ぶりに日米防衛協力のための指針を改訂。
新ガイドラインでは米国の役割は変わらないが、日本の自衛隊の行動範囲は広がった。
新ガイドラインによると、日米軍事協力の地理範囲は「周辺地区」にとどまらず、「米国の必要によって地球のどこにでも行ける」(日本政府高官)ことになる。
しかし、この日米の「安全上の必要」は1960年代から今日に至るまでの日米安保条約の枠組みや日本の戦後の専守防衛の理念から大きく逸脱している。
日本の自衛隊の任務は「自衛」を超え、「他衛」とも呼べるものだ。
安倍首相は日本の米国人に対する貢献は不十分と考えており、10年前にも「日米同盟は血盟であるべきだ」と述べたことがある。
そして安倍首相はようやく、日本の若い自衛隊員に米国人のために血を流す覚悟を持たせる夢を実現した。
しかし彼らの血はどこに流れるのだろうか。
イラクか、アフガンか? 世界はすでに混迷を深めている。
安倍首相や日本の右派は、この数年、米国が軍事介入に乗り出した地区で、罪のない市民が戦火に巻き込まれ命を落としていることを知らないとでも言うのだろうか。
安倍政権は今回、日米ガイドラインの改定を米側に積極的に働きかけた。
おそらくこれは、米国を利用して再び軍事大国になり、国際舞台で存在感を高めるための一里塚だろう。
安倍首相は首相就任後、一貫して「積極的平和主義」を提唱してきた。
しかし「平和」の言葉とは裏腹に、実際は「戦争」に近づくばかりである。
▲補足、感想など
ふん、偉そうに。
この、産業革命に200年も遅れる大ノロマ民族が---。
表題のごとく、日本という虎には、別の虎の威なんていらないよ。
この中国人のビッグマウスって、韓国人とそっくりだな。
要するに、「虚勢」を張らずには生きていけない—ということか。
どこか、ものの考え方・視点が、「文系」だな—と感じる。
中国の官吏の選抜が、科挙という試験でなされていたことはしられているが、科挙というものの試験の内容が、「文系」すぎるのではないのかな。
なにか、理系のもつ「愚直さ」というものが、中国人の民族としての志向に合わないのだろうな。
別の言葉でいえば、科学とか技術というものに畏敬の念がないのだな。
そのことが、中国人の言葉を軽くしている。
その軽さが中国人のビッグマウスに通じている。(中国の報道官のあのエラソガリをみよ)
19世紀の前半、なぜ清国は、イギリスにアヘン戦争で負けたのか—その核心部分が今もって、中国人には理解できていないということだろう。