▲韓国経済が、日米という世界の二強国から縁切り見捨てられて、苦しくて堪らないようだ。
今こそ、日本を叩いてお金をとってやろう—と必死に策謀してくる。
それだけのエネルギーと時間があれば、もっといい方向に使えよ—と思うが、元慰安婦達と同様に、「日本を叩けばお金がとれる、慰安婦で謝罪させればお金がとれる」という妄執にこり固まっているようだ。
もう、ご勝手に。
いくら日本を叩いても、日本は謝罪も賠償も絶対にしない。
以下、新聞から抜粋。
中央日報 ナム・ジョンホ論説委員
日本はなぜ日帝の蛮行を認めないのか。
同じ戦犯国のドイツは謝罪するのに。
ドイツ人は良心的だが日本人は無作法だからか。
中国・南京で30万人を殺戮した日本だ。
だが、
ドイツ民族の方が正しいというには苦しい。600万のユダヤ人を虐殺したのはだれなのか。
敗戦後に日本の政治学会ではファシズム研究がブームとなった。
日帝時代、軍部や官僚がなぜ戦争を行ったのかの診断があふれた。
アジアの被害国に対する謝罪が不十分なことも研究対象に上がった。
結論はこうだった。
ドイツは責任を転嫁する対象があった。ナチスだ。
ドイツ人がナチスの
ポピュリズムにだまされ悪行を犯したので許してほしいという論理が可能だった。
ナチスの
核心はみんな非正常な人だった。
ヒトラーは誇大妄想症患者であり、ヘルマン・ゲーリングはモルヒネ中毒者、ハインリッヒ・ヒムラーは男色狂だった。
日本は違った。
官僚と軍部全体がファシストに変化する。
東京大学、
陸軍士官学校を出た完全な最高エリートたちだ。
彼らが植民地侵略と戦争を主導したのでだれのせいにできるだろうか。
多数派の意見に従う日本人の特性が背景に挙げられた。
法廷に立った日本の戦犯は自身の決定が
「当時の状況では仕方なかった」と主張。
周辺の状況が、全体意見が圧迫してきて選択をしたという弁明だった。
ナチスの核心は無謀でも卑怯なことはなかった。
法廷に立ったゲーリングは「オーストリア合併は
ヒトラーの反対まで押し切って100%私の責任で行われた」と述べる。
日本軍部に蔓延した「皇道主義」も原因と指摘された。
これは天皇の力を天下に広めるのが正義だと考える思想だ。
捕虜虐待で法廷に立った日本軍看守の弁明は同じだったという。
全員「あれだけ捕虜によくしてやったのにこうするのか」と悔しがった。
捕虜を軍靴で踏みにじったことは悔いなかった。
ただ自身が収容所の施設改善にどれだけ努めたのか強弁した。
天皇の栄光をより高めるために当然な行為と信じたのだ。
さらに南京虐殺の責任者だった上海駐屯軍司令官松井石根はこうした話までする。
「アジアはひとつの家族で、中日戦争も兄が誤った弟を愛していて殴ったもの」と。
30万人虐殺まで愛から出た行為という詭弁だった。
こうした認識が日本社会にとぐろを巻いている限り謝罪が出てくるわけがない。
軍国主義復活を試みる安倍首相が退いても変わりはしない。
日本国内の良心派勢力さえ
「だれが首相になっても慰安婦問題を政府レベルで公式に謝罪する確率は0%」と口をそろえる。
竹島問題もそうだ。
香港の歴史学者は最近「中国の歴史と関連した笑い話」
という文を載せ話題を集めた。
中国の歴史と関連し彼が皮肉った事案は5種類だった。
まずモンゴルの地を強奪した中国が各国の独立を支持すると宣伝し、ベトナム戦争と韓国戦争の時にベトナムと
韓半島で戦争を行っても外国を侵略したことがないと自慢するのは欺瞞だと書いた。
台湾が古代から中国の
領土だったと言い張ることや清国末期に朝鮮を飲み込もうとしたのに帝国主義政策を展開したことがないと
主張すること失笑を買うと彼は指摘した。
最後に尖閣諸島を中国の領土だと強弁するのも笑わせることに挙げた。
尖閣諸島がなぜ自分たちの領土なのか根拠も挙げられないのに中国人みんなが興奮するということだ。
韓国や日本だと大きく異なろうか。
独島領有権をめぐり相手方の論理に反撃できる国民が
何人いるか。
ほとんどがもともと自分たちの領土だと主張するのは明らかだ。
「過去史解決優先」に固執しても何を得られるだろうか。
日本専門家は韓日間の慰安婦、独島紛争を糖尿のような成人病に例える。
常に治癒に努力しなければならないが完治も難しく、どうかすれば
一生ともに生きなければならない事案ということだ。
ゆえに慰安婦・独島問題解決が優先だと言い張り続けるのは日本と共存しないということと同じだ。
安倍首相登場後に韓国内の対日感情は悪化した。
中国はもっと深刻だ。
今年初めの世論調査で
韓国人の74%が「日本に好感が持てない」と答えた。
「日本が嫌いだ」と答えた中国人は83%だった。
そんな中国が先月日本との首脳会談を電撃断行して実利を狙い始めた。
日本を無視するには経済的利害があまりに大きいためだ。
韓国も同様だ。
過去の問題と政治・経済的協力を別に議論する「ツートラック」という話が出るのもそうしたことからだ。
このままでは北東アジアで仲間はずれにされるという懸念が聞こえる。
まだ活路はある。
韓中日首脳会談を韓国主導で開催するのも方法だ。
対日関係を改善する道を探さなければ韓国外交の将来はますます暗くなる。
▲補足、感想など
なんだ、この文章。
最後は、「日本にすり寄れ」--と言っているのか。
まぁ、結論はともかくも、この記事の日本人の「意志決定のメカニズム」のような部分についての指摘は面白い。
日本人の意思決定が、「大勢(たいせい)を読む」ということと、個人としての「意志」を天秤にかけて決定しているということだろう。
個人の意志力が弱いということではなくて、個を貫いた場合のメリットと「大勢を読む」場合のメリットというものを天秤にかけて、その後で決定するのだろう。
卑近な例で言えば、集団で食堂に入ってなにを注文するか-という場合を考えると分かる。
時間があれば、個々が勝手な料理を注文する、でも、時間が限られている場合、単一の料理の方が短い時間でできるという場合がある。
その場合は、いわば、大勢に従うということになる。
あぁ、「空気を読め」--という言葉に繋がるのか。
これは、記事にもあるように、ヨーロッパという階級社会における意志決定(つまり、エリートが、非エリートに命令する)と、日本のような「その他おおぜい主義」の下における意思決定の違いだと思える。
つまり、日本という国は、エリートと非エリートの差が小さいものだから、ヨーロッパのようなエリートのいう命令をその他大勢のアホが素直に聞くというシステムでは動かないのだ。
大勢がどういう方向を目指しているか、どういう意向なのか—を探って、大勢が向かう方向を読まなくてはならない。
大勢を決定するのは、勿論、世論であろう。
しかし、その世論の裏側には、道理があり、当然、正義がなくてはならない。
今の嫌-韓国という雰囲気は、このようにして醸成されてきたのだ。
だから。
韓国とは、日本にとって、関わらない、助けない、教えない—どうでもいい国だ。
日本は、韓国に対して、謝罪も賠償も絶対にしないよ。