▲尊敬されていない—って。
それがなに?
他者からどう見えるか—なんてどうでもいい。
それよりも、これから150年間で、日本人がなにをするか---が大切ではないのか。
落合さんって、筆者より一世代上だったかな。
アメリカの経済が最盛期だった頃を知っている人か。
アメリカ人から日本人を見て—てなニュアンスが表題にはあるのだろうな。
どうも、他者からの評価が気になる世代か。
そんな他者からの目なんてどうでもいい。
やっと、500年振りぐらいに、日本人が世界の最先端の位置についたのだ。
これから日本人が手をつけることは、世界で初めてのことばかりだ。
だから。
「なにをするか」が大切なのだ。
以下、新聞から抜粋。
テレビを見て驚くことは、トップニュースになるはずの国際情勢が、日本のテレビでは取り上げられていないことだ。
たとえば、アメリカのCNNを見てみれば、ギリシャがEUから脱退するかも知れないという話題をトップニュースとして扱っていた。
私は1980年CNNが開局して、創業者のテッド・ターナーに会っている。
その際、「24時間ニュースばかりでやっていけると思いますか」と聞いたところ、彼は「5年後には世界中の大統領や首相が見るようになる」と断言、事実その通りになった。
国際社会では、他国の情勢に関心を持つのは当たり前だ。
日本では、国際情勢に関する報道はテレビから消え、愚民化された視聴者を喜ばす番組ばかりになってしまった。
こうして日本人は、劣化していく。
日本人が好むのが、「日本第一主義」だ。
テレビには外国人が日本のことを褒めるだけの番組が溢れ、書店では外国人が書いた「日本が世界から尊敬される理由」といった類いの本ばかりが売れている。
これでは頭をなでられて喜んでいる子供だ。
日本人は世界で尊敬されてなどいない。
世界は日本への関心を全く失っている。
昨年フランスを訪れたが、フランスのテレビに映るのは中国関連のニュースや中国企業のCMばかりで、日本のことなど触れられもしない。
また、米調査機関が発表した日米関係に関する世論調査によれば、アメリカ人の73%は安倍晋三の名前を「聞いたことがない」と回答したという。
安倍は「アメリカ議会で演説できる」と意気込んでいたが、実際には名前すら知られていないのだ。
尖閣諸島のことなどアメリカ人が知るわけがない。
アメリカでは「東京から北京までバスで何時間かかるんだ?」と聞く人がいるのだから。
小さな島を守るために、海兵隊が血を流すことなどあり得るわけがない。これが現実なのだ。
日本人は、世界から無視されている現状を見ようとせず、まるで「おとぎの国」にいるようなフリをして自己陶酔に陥っている。
外国に行くと、日本が見えなくなる。
だが、日本も世界を見ようとしないのだ。
▲補足、感想など
ふ~ん、なにが言いたいのだろう。
落合さんも、若い頃の柔軟性を失っている感じがするなぁ。
このブログでなんどもふれた。
今の自画自賛番組は、半世紀以上も続いた戦後レジーム崩壊の「反動」だ。
なんぜ、半世紀以上も新聞放送業界に巣食う朝鮮系洗脳工作員達から、やれ慰安婦の、やれ歴史認識の--、やれ日帝三六年の--などいう言葉を聞かされてきたのだ。
そんな洗脳工作が日本人に効かなくなったとみて、反動というか、今までのやり方では自分の身が危ないというので、やり始めたのが日本人上げ番組であろう。
まぁ、
その内、収まるし、また、もっと洗練された形での日本人上げ番組へと変化していくさ。
アメリカ人の大部分が、安倍さんの名前を知らないというのは、「単に知らない」という単純なことではなくて、アメリカ人の知的レベルの低さを意味しているのだ。
アメリカも階級社会というものから逃れられないのだろう。
下流社会に属する人間は、頭で勝負するということを社会から求められていないのだ。
だから、本も読まない、新聞も読まない、で、安倍さんの名前も知らない—ということだろう。
たしかに、米軍が尖閣諸島を「血を流してまで」守ってくれるかどうかは怪しいものだ。
でも、口だけでも言ってくれるだけ、ありがたいと思う。
当然、尖閣諸島は日本人が身体を張って守るべきものであろう。自国のことだ。当然ではないか。
日本の社会というものは、その他大勢主義だ。
エリートと非エリートの差が小さくで、無名だけれども、充分な能力をもっている「その他大勢」がいるのだ。
別に他者から尊敬されなくてもいいし、無名でいい—と思っているのだ。
日本の「真の恐ろしさ」は、実はここにあるのだ。
落合さんの言い方には、アメリカの「英雄主義」とでもいうものを感じる。
なにか、特別のエリートが、社会を大きく変革させる—というイメージをもっているのだろうな。
そういう落合さんの眼からすれば、上で筆者がふれた「その他大勢主義」というものが、どこか、ボンヤリとしか見えないのだろう。
印象が薄いというか、くっきり見えないというか---。
でも。
社会というものは少数の英雄によって変革するものでない。
そこらに転がっているような普通人の大勢がどう動くかで、変化していくのだ。
日本人は英国の産業革命に100年遅れて出発し、150年という時間で産業革命組の諸国に追いついた。
日本人以外のどの民族がそういうことをなしえたか?
2011年3月、東日本大震災の発生した日の夕方、東京の都心で働いていたサラリーマンは、電車がストップしたため、自宅まで多くが徒歩で帰宅した。
暗闇の中を黙々として歩くサラリーマンを、店舗・コンビニは店を開き、街路沿いの家はトイレを開放して、援助した。
一旦緩急あれば---、日本人という無名のその他大勢は、こういう風に動くのだ。
落合さんの眼は、皮相過ぎるとしか思えない。
何度でもいおう。
社会を変革するものは少数の英雄ではない。暗闇の中をただ黙々として家路を急ぐ無名のその他大勢がどう動くかで変化していくのだ。