▲日本は、韓国に謝罪も賠償もする気はない。
韓国は、日本が見捨て・縁切りした国家だ。
日本に縁切りされた国がなにか言っている。
以下、新聞から抜粋。
先月。米国連邦議会で行われた安倍首相の演説は、植民地支配と従軍慰安婦についてどう語るかに関心が集まっていたが、記者が注目したのは、日本の対外戦略に占める韓国の比重がうかがわれる部分だ。
安倍首相は「アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国のリバランスを支持する。徹頭徹尾支持するということを、明言する」と前置きし「日本はオーストラリア、インドと、関係を深めた。
ASEANの国々や韓国と、協力を深めていく」と語った。
日本外交の優先順位において韓国が、オーストラリア、インドはもちろん、東南アジア諸国よりも下ということを明らかにした。
安倍首相の演説は、「太平洋国家」という首相の目標を再確認させるものだった。
安倍首相は、オバマ大統領訪日に先立つ14年4月、メディアに「日本の第二の開国」という記事を寄稿「日本はもはや、自らを極東とは考えない。われわれは環太平洋地域の中心にある」と主張。
福沢諭吉のように、安倍首相も、日本にとって役に立たない東アジアの国々とは距離を置く準備ができていることを明らかにした。
日本を「北東アジア」という枠組みの中で理解し、「韓中日」という表現に慣れた韓国は、安倍首相の立場は容易には理解できない。
いやそれどころか、地理的・歴史的に最も近い韓国に、どうして冷たくできるのだろうか。
しかしこうした疑問は、日本が「アジア国家」と「太平洋国家」という二重のアイデンティティーを持っているという事実を理解すれば、解ける。
島国・日本は、韓半島経由で渡ってきたアジア系と、南太平洋からやって来たポリネシア系がつくった古代文明から出発した。
米国の学者、ルース・ベネディクトは、著書『菊と刀』で、天皇について、太平洋の島々で見られる「神聖首長」と同じ概念だと記した。
日本の二重性は、その後も続いた。
アジアの国際秩序だった朝貢体制の外部に位置し、明治維新後はアジア主義と脱アジア主義が交差する中で歴史が進んだ。
「大東亜共栄圏」を叫んでいたのに、第2次大戦で敗れると、米国主導の西側世界に喜んで編入された国が日本だ。
訪米で、安倍首相が米国に対し露骨な求愛を行う一方、アジア諸国は無視したことにより、日本はアジアを脱して「太平洋国家」へと一歩進んだ。
日本の動きは、宿敵・中国の台頭を警戒しているからだ。
太平洋を結ぶ対中封鎖網への参加と、太平洋諸国との経済的つながりの強化に、国の命運を賭けているのだ。
脱アジアの動きを加速させている「安倍日本」が、北東アジアの隣接諸国に配慮するとは思えない。
中国中心の新朝貢体制に編入される韓国に対して、なおのことだ。
謝罪する気が特にない相手にこれを要求し続けるのは、互いに煩わしい。
今や、「太平洋国家」へと脱皮しつつある日本と共に生きていくための、より冷徹な対日関係を構想すべき時が来ている。
▲補足、感想など
太平洋国家か---。
まぁ、それよりも2014年の戦後レジームの完全崩壊が決定的だろうな。
これにより、日本は、「次なる150年」という新レジームを構築しはじめた。
それは、明治維新後150年という時間を経て、産業革命組の諸国に追いついたということであり、肩を並べたということであろう。
そして、「次なる150年」とは、産業革命組という先達の背中さえ見えない不透明な時代を手探りで進んでいくぞという覚悟を決めたということでもある。
もう、見本はどこにもないのだ。
自分の眼と才覚だけが頼りの150年という時代に突入したということだ。
戦後レジームが崩壊したことで、日本は千里の荒野に放たれた虎と化した。
もう、先の大戦の軛(くびき)から解放され、誰からも束縛されることはない。
極東の虎と、アメリカという産業革命組の虎との始めての話し合いが先日の安倍さんの訪米だったのだ。
アメリカのいう「リバランス」という言葉には、日本が明治維新から150年という歳月を経て、欧米列強に肩を並べた—という事実を、アメリカ側がらの視点で表現したものだ。
そういう「千里の荒野に放たれた虎」=日本から、韓国という国をみたとき、もうどうでもいい—と感じる。
中国側へいこうといくまいと勝手にすればいいこと。
記事にあるように、
日本は、「次なる150年」という歳月を、インド プラス アセアン プラス オーストラリア などと連携して、歩んでいくことになろう。
韓国、中国—まぁ、どうでもいい国だ。