▲シンガポール首相か。
中国系だということか。
日本の過ち? ってなんのこと?
日本は19世紀の後半、英国の産業革命に100年遅れて、明治維新というリセットを経て、出発し、近代化、富国強兵を目指した。
日本は産業革命に遅れたのだが、同時に、17世紀始めに鎖国して大航海時代を自らドロップアウトしており、帝国主義という領土拡張政策にも遅れた。
このことが、明治維新後約60年ぐらいで、中国の国土を巡って産業革命組の諸国とで軋轢を産み、以後、太平洋戦争へ繋がっていった。
こうして、振り返ってみると、単純ではある。
で。
どこが日本の過ちって?
戦争は善悪ではない。
相手(ここでは、産業革命組の諸国だが--)のやることかどうしても我慢てきなくて、殴りかかるものだ。
殴りかかったものの、この100年遅れということは、日本にとって致命的で、100年間の技術革新の遅れ、富の蓄積の遅れが大きすぎて、日本は惨めな敗戦となったものだ。
以後、賠償問題も片付き、日本は他国からとやかく言われる筋合いはなくなった。
韓国、中国との賠償問題も片付き、日本にとってはすべて解決済みだ。
そんな日本に向かって、第二次大戦の過ち—てなんのこと。
現在、イエローがとにもかくにも、白人達に別に劣等感を感しることなく、世界を闊歩できるのは、20世紀半ばに、「日本という100年遅れなりの意地と根性」を、産業革命組の諸国に「見せつけた」おかげであろう。
200年遅れの中国人などにとやかく言われる筋合いはない。
以下、新聞から抜粋。
2015年5月30日、聯合ニュースによると、シンガポールのリー・シェンロン首相は、「日本が『普通の国』になり、地域で積極的な役割を引き受けるならば、第2次世界大戦当時に犯した
過ちを認めなければならない」と述べた。
リー首相は、英国の国際戦略研究所(IISS)主催で開かれた第14回アジア安全保障会議で基調講演し、「日本は過去の過ちを認め、日本の世論も右翼学者や政治家の
歴史歪曲を、率直に拒否して取り組まなければならない」と述べた。
また「日本はすでに戦争について漠然とではあるが、深い反省と謝罪を表明したとはいえ、従軍慰安婦と南京大虐殺の
ような特定の事案についてはあまり目立たない態度を見せている」とも指摘した。
アジア安全保障会議は、地域安全保障枠組の設立を目的として設置され、アジア太平洋地域の国防大臣などが多数参加する国際会議であり、毎年シンガポールで、地域の課題や
防衛協力などが話し合われる。
▲補足、感想など
ふん、200年遅れの大ノロマ民族からとやかく言われてたまるか。
ましてや、中華系シンガポール人から---。
産業革命とは、即ち、エンジンのことだ。エンジンを作れる技術のことだ。
産業革命に200年も遅れれば、もう、まともにガソリンエンジンさえもつくれまい。
産業革命とは、即ち、エンジンのことだ。エンジンを作れる技術のことだ。
産業革命に200年も遅れれば、もう、まともにガソリンエンジンさえもつくれまい。
慰安婦は、戦時高給売春婦のことだ。
高額の前払い金を受け取って、その両親から民間の女衒業者へ売り飛ばされた人達のことだ。
日本政府、日本軍はなんら関係のない話だ。
中国人の日本人に対するなんともしれぬ感覚を書いた文章をご紹介したい。
中国人に日本人への感覚がなんとなく分かるよう気がする。
--ここから--
日本人が普通にしているだけで、劣等感を刺激される
こんなことを言う彼は日本のことが大好きで、マスクが中国人への当てつけではないことも分かっている。
「でも、中国人がのどから手が出るほど欲しても手に入れられない安心や安全を、日本人はいとも簡単に手に入れている。
それなのに、そうしたことに当たり前だと思っている(と中国人からは見える)日本人に対し、劣等感やいら立ちを感じるときがあるんだ」
友人はこう正直な気持ちを吐露してくれた。
「やわでお上品な日本人には厳しい環境で生きている俺たち中国人の気持ちは永遠にわからないだろうな」と彼に言われたとき、私はどんな表情をしていいかわからなかった。
どんなに高い空気清浄機を使っても、どんな高級マンションに住もうとも、大気汚染は個人のお金や努力では解決できない問題だ。
豊かになったはずの中国で、赤ちゃん用の安全な粉ミルクさえ十分に手に入らず、香港まで買いに行く始末だ。
どんなに高額な料理を注文しても、必ず安全な食材を使っているという保証や確信を中国人は持つことができない。
お財布には現金やカードが入っていても、内心は心細く、日常生活にさえ不安やイライラを抱えながら生きなければいけない。
だから、友人から、「日本の食品は安い上に安全なんだ。日本では水道の水だって飲めるんだよ。おなかも壊さないよ」などと能天気な感想をいわれるとしゃくに障る。
たとえそれが日本を褒めて言っているわけではない、ただの雑談だとしても、その話を素直に聞き入れることなど、悔しくて到底できないのだ。
中国人はノービザで行ける国はほとんどない、お金持ちでも、中国国籍である以上、ほとんどの国に行く度にビザが必要でパスポートの信頼度も低い。
だが、日本は逆で、ビザが必要なのはインドなど数カ国だけ。
つまりは、中国人が大枚はたいても買えないものが日本にはあまりにもそろっている、うらやましさがひがみの元になっているのである。
もちろん、それだけではない。
中国人の屈折した心の内には、戦争の歴史も色濃く関係している。
かつては世界の大国だったのに、アヘン戦争後に日本や欧米列強の侵略を受け屈辱を味わった。
苦しい生活を強いられてきた国民は、豊かになった今も被害者意識や劣等感でいっぱいだ。
過去から這い出してようやく経済成長を果たし、GDPではついに世界第2位の座にまで上り詰めた。
国力に見合わない「不安」の裏返し
「自分たちはここまで来たんだぞ」という喜びや自信がある半面、その自信を裏打ちするだけの精神的なゆとりのある生活ができていないことは、当の中国人自身が一番よく知っている。
それに「いじめられた思い出」は心のトラウマとなって残っており、まだ癒されていない。
だから「今もまだ自分たちは日本や欧米から見下されているんじゃないか?大国なのにバカにされるってどういうこと!」という気持ちを払拭できない。
日本に住む中国人留学生が、必ずといっていいほど本国に住む中国人から聞かれることがある。
それは「日本にいる中国人は日本人にいじめられているんでしょう?」という質問だ。
「そんなことはないよ。日本人は親切だよ」と真正面から直球で反論しても信じてもらえない。
ある中国人留学生にこの話をしたら、彼も同じ質問を受けるといい、自分はこのように切り返すと教えてくれた。
「日本は過剰に気を使い合う社会。留学生の僕にもみんなとても気を使ってくれる。
だから僕は日本にいてとても居心地がいいんですよ。
バイアスがかかった中国人に、日本について一定の理解をしてもらうための『前進のための誤解』が必要だと自分は思っています。今はその過程にある。わかってください」
彼はこう話してくれた。
「前進のための誤解」とは、おもしろい視点だ。
--ここまで--