2015年6月28日日曜日

中国人のものの見方ってヘン。文官が支配した国だから?

中国人のエリートと言われる人達のものの見方ってヘンだ。
 いや、日本人と比べれば—ということではあるが---

 筆者がひっかかるのは、どこでも「感情」が介入するということだろうな。
 数年前か、中国のgdp が日本を追い越したというタイミングがあった。

 なにか、中国は大喜びしたそうだが、日本ではニュースにもならなかった--
 中国人は、日本が中国に追い抜かされて「悔しい」と思っているのに違いない—と考えるらしい。
 なにも言わないのは、その悔しさを口に出さないだけだ—と。

 えっと思わないか。
 単に、gdp の数字で中国が日本より大きくなった—という現象があって、その裏側では日本人は「こう考えているはずだ」とか推定するらしい。

 日本人からすれば、日本人は1億ちょいだ。中国は13億とかいう数字であろう。
 どこかで追い抜かされて当然だと思うし、そこで「悔しい」とかどうとか思いもしない。

 一連の流れを見ていると。
 日本人がより「合理的」「科学的」「職人的」ものの見方をしているということが分かる。
 中国人は、より「文官的」「情緒的」「不合理な」見方をしているということがぼんやり分かろう。

 これは、中国の政治が数千年の歴史において、常に「文官の支配」であったということが大きかろう。
 どうも、科学とが技術とかの「裏付けの乏しい」判断をし続けてきたということなのだろうな。

 以下、新聞から抜粋。

 中国の王毅外相は、講演の中で 、日中の関係改善を巡る課題について、「発展を遂げた最大の隣国・中国を、日本が真の意味で受け入れるかどうかだ」と発言。
 中国の要人が公式の場で日中両国の「地位」に言及するのは異例とされ、本音が 出たとみられている。

 王外相は、「世界平和フォーラム」で講演。
 質疑では「日本の古い友人の話」を紹介する形で、「中国は過去の歴史上のあるべき状態に戻っただけで、 日本人はそれを受け入れるべきだ」と。

 歴史問題については「歴史の『被告席』に立ち続けるか、過去に侵略した国との和解を 実現するか」と発言。
 安倍首相が発表する戦後70年談話を念頭に、日本をけん制した。


補足、感想など

 は、は、は。
 地位ねぇ。

 中国>>>日本 だと、日本が認めろ—とか言っている訳か。
 いや、gdp は中国の方が大きいよ---認める。それでいいのか。

 なにが不満なんだ?
 かっての唐時代の頃の 「唐」と「日本」という関係のようになりたい—ということか。
 日本が唐へ「遣唐使」を送っていた時代に「戻った」と日本に認めてほしい—ということか。

 冒頭でふれた。
 中国人の情緒主義というものは、「科学的な見方」「合理的な見方」というものを塗りつぶしてしまう程、強いということだな。
 要するに、「見栄っ張り」ということだろう。

 中国人の地位って一体なんなんだ?
 あぁ、冊封体制のようなイメージか。中国が宗主国として、世界の中心にいる—という感覚か。

 なるほど、この文官の王毅外相なら考えていそうだな。
 でも、ちょいと、早すぎないか。

 1960年代から1970年代にかけて、中国は毛沢東主導の下で、文化大革命という焚書坑儒をやった。
 これで、それ以前の文化的な遺産、職人、文化人の類いを皆、破壊し、殺害してしまった。
 その数、4千万人を越えるという。

 今、日本を追い越したと自慢するgdp の中身を考えてみよ。
 独創のない低レベルの技術のものを大量に製造して、アメリカなどに輸出して稼いだものであろう。

 お金だけもっていれば、冊封体制のもとでの宗主国となれた—ということなのか。

 王毅という「文官」故の、感情・情緒過多の「科学性のなさ」「不合理さ」を感ずるな。

 文官って、どうして、そんなに偉そうにしたいんだ? どうして、そんなに見栄っ張りなんだ?
 中国か、英国とのアヘン戦争に、日本との日清戦争に敗北したのは、そういう「文官のもつ非科学性」のためではないのか。

 この王毅という文官は、中国の歴史のおける典型的な文官の官僚なのだろうな。
 アヘン戦争の前、日清戦争の前でも、対英国、対日本で、中国人という民族は、この王毅さんと同じような言動をとったのだろう。
 要するに、自分のプライドのために「見栄」というか「虚勢」を張らずにはおれない人なのだ。

 国を危うくする「文官」と言えるだろうな。、