▲中国人のエリートと言われる人達のものの見方ってヘンだ。
いや、日本人と比べれば—ということではあるが---。
筆者がひっかかるのは、どこでも「感情」が介入するということだろうな。
数年前か、中国のgdp
が日本を追い越したというタイミングがあった。
なにか、中国は大喜びしたそうだが、日本ではニュースにもならなかった--。
中国人は、日本が中国に追い抜かされて「悔しい」と思っているのに違いない—と考えるらしい。
なにも言わないのは、その悔しさを口に出さないだけだ—と。
えっと思わないか。
単に、gdp の数字で中国が日本より大きくなった—という現象があって、その裏側では日本人は「こう考えているはずだ」とか推定するらしい。
日本人からすれば、日本人は1億ちょいだ。中国は13億とかいう数字であろう。
どこかで追い抜かされて当然だと思うし、そこで「悔しい」とかどうとか思いもしない。
一連の流れを見ていると。
日本人がより「合理的」「科学的」「職人的」ものの見方をしているということが分かる。
中国人は、より「文官的」「情緒的」「不合理な」見方をしているということがぼんやり分かろう。
これは、中国の政治が数千年の歴史において、常に「文官の支配」であったということが大きかろう。
どうも、科学とが技術とかの「裏付けの乏しい」判断をし続けてきたということなのだろうな。
以下、新聞から抜粋。
中国の王毅外相は、講演の中で
、日中の関係改善を巡る課題について、「発展を遂げた最大の隣国・中国を、日本が真の意味で受け入れるかどうかだ」と発言。
中国の要人が公式の場で日中両国の「地位」に言及するのは異例とされ、本音が
出たとみられている。
王外相は、「世界平和フォーラム」で講演。
質疑では「日本の古い友人の話」を紹介する形で、「中国は過去の歴史上のあるべき状態に戻っただけで、
日本人はそれを受け入れるべきだ」と。
歴史問題については「歴史の『被告席』に立ち続けるか、過去に侵略した国との和解を
実現するか」と発言。
安倍首相が発表する戦後70年談話を念頭に、日本をけん制した。
▲補足、感想など
は、は、は。
地位ねぇ。
中国>>>日本 だと、日本が認めろ—とか言っている訳か。
いや、gdp
は中国の方が大きいよ---認める。それでいいのか。
なにが不満なんだ?
かっての唐時代の頃の 「唐」と「日本」という関係のようになりたい—ということか。
日本が唐へ「遣唐使」を送っていた時代に「戻った」と日本に認めてほしい—ということか。
冒頭でふれた。
中国人の情緒主義というものは、「科学的な見方」「合理的な見方」というものを塗りつぶしてしまう程、強いということだな。
要するに、「見栄っ張り」ということだろう。
中国人の地位って一体なんなんだ?
あぁ、冊封体制のようなイメージか。中国が宗主国として、世界の中心にいる—という感覚か。
なるほど、この文官の王毅外相なら考えていそうだな。
でも、ちょいと、早すぎないか。
1960年代から1970年代にかけて、中国は毛沢東主導の下で、文化大革命という焚書坑儒をやった。
これで、それ以前の文化的な遺産、職人、文化人の類いを皆、破壊し、殺害してしまった。
その数、4千万人を越えるという。
今、日本を追い越したと自慢するgdp の中身を考えてみよ。
独創のない低レベルの技術のものを大量に製造して、アメリカなどに輸出して稼いだものであろう。
お金だけもっていれば、冊封体制のもとでの宗主国となれた—ということなのか。
王毅という「文官」故の、感情・情緒過多の「科学性のなさ」「不合理さ」を感ずるな。
文官って、どうして、そんなに偉そうにしたいんだ? どうして、そんなに見栄っ張りなんだ?
中国か、英国とのアヘン戦争に、日本との日清戦争に敗北したのは、そういう「文官のもつ非科学性」のためではないのか。
この王毅という文官は、中国の歴史のおける典型的な文官の官僚なのだろうな。
アヘン戦争の前、日清戦争の前でも、対英国、対日本で、中国人という民族は、この王毅さんと同じような言動をとったのだろう。
要するに、自分のプライドのために「見栄」というか「虚勢」を張らずにはおれない人なのだ。
国を危うくする「文官」と言えるだろうな。、