▲あっそう。
それはそれは---。
人間ではないなら、サイア人だったりして---。
それとも、宇宙人か。
いやいや、なんとも面白い展開ではある。
韓国人が嘘つきの成れの果てを突き抜けて、どんどんとんでもない世界へ追い込まれているようだ。
まぁ、ご勝手に。
自分でついたウソに更に締め付けられているようだ。
自業自得というものだろうな。
以下、新聞から抜粋。
キムさんとキムさんが逝去
生存者は50人に
安東と浦項に葬儀室… 13日に出棺予定
「少女像守り」会員たちが、広場の少女像に献花し、故人になった慰安婦のキムさんとキムさんを追慕するプラカードを持っている
「辛かったこと全て忘れ安らかに。私たちが解決します」。
浦項の市民葬儀場。
慰安婦のイさんがキムさんの遺影の前で涙を流した。
イ氏は、花一輪を置いて独り言を言った。「50人になりました…」。
慰安婦のキムさんが療養院で生涯を終えた。
慰安婦のキムさん)も広州の病院で目をとじた。
2人が亡くなり、慰安婦238人中の生存者は50人に。
キムさんは1925年、浦項で3男3女の二番目に生まれた。
18歳だった1943年、浦項の市場で日本の警察に連れて行かれた。
ミャンマーで慰安婦として苦難に遭った。
解放後、1945年にミャンマーから釜山に到着。
健康状態が悪くて釜山で2年間留まった。
以後、キムさんは野菜を売りながら暮らし、1974年に夫に出会い暮らした。
1996年に慰安婦被害者として登録した。
1934年、安東で生まれたキムさんは1945年2月に北海道に連れて行かれた。
わずか11歳の時だった。
慰安婦生活を耐えたキムさんは徴用に行ってきた夫と結婚した後、慶尚北道安東で暮らした。
4男1女をもうけたキムさんは1998年に政府に慰安婦被害者として登録した。
故人は慰安婦の中で年齢が最も幼かった。故人は2012年にナヌムの家に住居を移した。
キムさんは病床で日本政府の謝罪を待ちながら闘病してきたとナヌムの家関係者は伝えた。
故人は生前「その人でなしどもは幼い子供を連れて行き無慈悲に凌辱した。あいつらは人間ではない。
幼かりし時に一緒に遊んだ友達は皆連れて行かれ、死んでしまい私一人だけが生きて帰ってきた」と、日本政府の公式謝罪を要求。
▲補足、感想など
なにか。
日本の警察=女衒業者=公務員 だったのか。
じゃ、日本の警察官が、慰安婦達を管理したり、慰安所で食事を作ったり、お風呂を沸かしたり、部屋の掃除とかしていたのか。
ウソをつくのもいいが、もっと真実らしいウソをつけよ。
ついでに言えば、女衒業者が公務員だったら、必ず書類が残る。
お金を使っても領収書が必要となる。
そういうものが、必ず残る。
日本の警察とか、公務員の記録として、そんなもの—一切残ってはいない。
特に、「一緒に遊んだ友達は皆連れていかれ」---てなんなのだ?
じゃ、その時、その友達の親たちはどうしていたのだ?
自分の子供が勝手に連れていかれて黙っている親などいやしない。
それなら、誘拐という犯罪ではないか。
警察がきて、犯人を捕まえるということになろう。
記事の話では、つれていかれる時、親がどこにもでてこない。
つまり。
高額の前払い金を受け取って、民間の女衒業者へ売り飛ばされた人達なのだ。
民間の女衒業者が、自分の娘を慰安所へ連れていくのを、親たちは黙ってみていた—ということだ。
記事では警察がててくるが、恐らく、民間の女衒業者が売り飛ばされたことをしらない娘達をつれて行くとき、誘拐と間違えられないように、警察官に立ち会いを願ったものだろう。
警察官が連れていったのではなくて、誘拐だと周りの住民から誤解されないように、警察官立ち会いの下で、女衒業者が連れていったということとだろう。
警察官の立ち会い—ということをここまで曲解して、結局、日本の国を・日本人を卑しめることに利用したということだろう。
嘘つきの成れの果ては、更に泥沼に落ち込むな。
冒頭でふれた。
自業自得であり、自分が天に向かってはき出し続けた「唾」が、自分の頭の上に落ち続けているのだ。
韓国は、もう、日本が見捨て縁切りした国家だ。
関わらない、教えない、助けない---どうでもいい国だ。
捏造慰安婦騒動は、日本人の名誉と尊厳に関わる問題だ。
日本人は他者からの謂われもない侮蔑に耐えることはできない。
だから。
日本人は、捏造慰安婦に関して謝罪も「賠償も絶対にしない。