▲いや、お馬鹿な表題となった。
ご勘弁願いたい。
なにかというと、間の抜けた記事があって、それが表題のようなことを無理矢理結びつけたようなものになっていたのだ。
核心を言えば。
オバマさんが安部さんを「極東の虎の代表」と見ているからだ。
戦後レジームが完全崩壊して、日本が千里の荒野に放たれた虎となり、その虎の「代表者」なのだから、オバマさんからの見方が変化するのが当然ではないか。
で。
そのことは、町村さんが亡くなったこととなんの関係もない。
以下、新聞の間抜け記事から抜粋。
安倍首相とメディア幹部が、レストランで会食している。
第2次内閣以来、約60回も夕食をしている。
安倍首相の番記者たちもディナーの相伴にあずかっている。
東京「赤坂飯店」の個室には、
内閣記者会に加盟する新聞・テレビ各社の官邸キャップが会した。
名目は安倍首相を囲む「懇談会」だ。
年に1回以上のペースで開かれている。
さる6月も、「赤坂飯店」でキャップ懇談が開かれる予定が、直前に町村前衆院議長の訃報が届いた。懇談会は中止になると思っていたが、
官邸から「予定通り開催する」と連絡。
「驚きました。総理はビールをあおって、『オバマの俺を見る目が変わってきたんだよ』と上機嫌。
しかも、赤ら顔のまま町村さんの弔問に出かけていった」
町村氏は党の先輩であるだけでなく、所属する派閥の領袖でもあった。
弔問よりも記者との酒席を優先するとは、安倍首相がマスコミの“餌づけ”に熱心であるかがわかる。
しかも、新聞にはそんなことは1行も書かれていない。
▲補足、感想など
いや、どうでもいい記事ではある。
筆者が、ひっかかったのは、安部さんの言葉だ。
冒頭でふれた。
2014年に戦後レジームが完全崩壊して、日本は「極東の虎」となったのだ。
アメリカのオバマさんは、安部さんを「極東の虎の代表者」として見ているのだ。
それが、安部さんにも十分に感じられる程のものだった—ということであろう。
このブログで何度もふれた。
日本は、明治維新以来、約150年を経過して、アメリカを代表とする産業革命組の諸国と「肩を並べた」。
そのことは、明治維新をなしとげた伊藤博文、大久保利通などの元勲達が、「願ってやまなかったことだ」。
日本は、明治維新の段階で、英国の産業革命に約100年遅れて出発した。
アメリカを代表する産業革命組の諸国には、この100年も遅れるノロマ国・日本に対して、寛容にも多くのことを教えて頂いた。
こうして、産業革命組の諸国に追いつき肩を並べた段階で、日本人として、寛容にも多くのことを教えて頂いた産業革命組の諸国に対して感謝を申し上げたい。
もう、日本は、「次なる150年」という新レジームを構築中だ。
日本の前にあるのは、もはや、産業革命組の先達の背中さえみえない世界だ。
手本も見本ももはやない、目標すら定かではない--そんな世界だ。
手本も見本ももはやない、目標すら定かではない--そんな世界だ。
自分の眼と才覚だけを頼りとして、不透明な薄闇の中、手探りで進むしかない。
アメリカは、日本がそういう薄闇の中を手探りで進んでいることを知っているのだ。
<アメリカは、1960年頃からそういう薄闇の中を手探りで進んでいるのだ--その意味で先達ではある>
オバマさんの安部さんをみる目が変わるのは当然ではないか。
オバマさんの安部さんをみる目が変わるのは当然ではないか。